南野 尚紀
「こちら第1部隊。第1部隊。逗子海岸、太陽の季節記念碑周辺異常なし、太陽の季節記念碑周辺異常なし。そちらは。どうぞ」。
鎌倉に行って、木製のロザリオやロシア人女性・Dariaと会った日、仁美さんのような女性と結婚したいということや、砂浜に寝ると地球が平たく感じるし、それでいて地球が丸いということも感じるというようなことも感じたが、「文学あれこれ雑記 No.3 由比ヶ浜で出会ったロシア人女性Daria、海で道徳的戦いを宙吊りにして、カフェで月に願いをかけてみる」では書かなかったような、心のそこにこびりつき、煮えくりかえるような忸怩たる思いも抱えていた。
JR鎌倉駅から電車で横須賀駅に帰る途中、電車のドアのところに40歳くらいと思われる、黒い服を着たマダムが立っていて、見惚れてしまう。
湘南は、MISHA とか湘南乃風が好きか、井上尚弥とか3代目 J Soul Brothersが好きか、TUBEとかLeyonaが好きみたいなことで、美人は3パターンにくらいにわかれるんだけど、この美人は明らかに3パターン目だった。
その女性を見ているうちに、横須賀でもいいけどせっかくだし、逗子駅で降りて、なにかおいしいものでも食べよう、そう思うようになり、逗子駅で降りると女性も逗子駅で降りる。
別に目でずっと追っかけてたわけじゃないけど、なんとなくは気にはなっていて、その女性がいつの間にか視界に入るところにいなくなってることに気がつくと、昔のほとんどの友人や知り合いが死ぬのよりもガッカリする思いだった。
逗子の街を歩く。
夕陽はとうに暮れて、飲み屋の赤提灯や、レストランの灯りが街を照らしている。
レストランを見るのもよかったけど、どうしても石原慎太郎の太陽の季節記念碑を見たくなって、そちらへと歩を進める。
逗子は緑も多く、川や海もあるので、住宅街がより静かに感じられる。
歩いている途中、どの辺でそう思ったのだろう、今日は、自分の免疫力を上げるため、腐った根性を叩き直すため、ウクライナと日本とイタリアの保守の勝利を祈念して、石原慎太郎の太陽の季節記念碑の下で、野営をしようと心に決めた。
コンビニでウイスキーと、おかかのおにぎりを買い、さらに海の方へ。
レッドロブスターを通り過ぎ、橋の上まで来ると視界に海が広がる。
石原慎太郎の記念碑は、今年の冬にイタリアに行く前に一度、訪れた。
コトノハ文学教室はなにかの形で再開する予定だけど、あれもイタリアに行くと宣言し、石原慎太郎の「太陽の季節」に教室の名前を変えたいと話したら、全員が去っていったが、まったく後悔はない。
中上紀先生はいい人だったけど、あんな裏切り者ども、あれこれ言うまでもなく、どうでもいい。
太陽の季節記念碑の下で、おにぎりを食べ、ウイスキーを飲む。
その後、イタリアのパレルモ出身の友人から電話があり、彼女と彼女の仕事のことや、僕の近況を話しながら、海辺を散歩する。
海辺が7時半くらいだと、バーベキューをやってる人々がいて、中には焚き火をやって暖を取ってるカップルもいた。
僕が驚いたのが、その中に本気でランタンや焚き火など、野営セットを使って、野営してる人がいたことだ。
顔つきも厳格で、三島由紀夫の生まれ変わりみたいにも見えた。
9時半を過ぎると、バーベキューをやってた家族連れなどは、帰っていき、一部の人だけが残る。
10時半には、野営の人のランプも消え、海辺は寝静まった。
1時くらいまでは、時々、大学生らしき集団とか、男女3人で缶ビールを飲みながら海を訪れる人もいたが、1時半を過ぎると本格的に、釣りをする人だけになって、野営をしていた人もいつしかいなくなっていた。
2時を過ぎると寒くなってくる。
シャツと肌着のみだったし、海辺というのは風がそのまま当たるし、水辺でもあるので、とにかく寒い。
身体をあたためるために、散歩をしたがそれでも足りなかったので、プーチンを殴る想像をしながら、シャドウボクシングをした。
シャドウボクシングは敵面に身体があたたかくなって、血の巡りもよくなり、少しずつ意識も目覚めてくる。
その時、これを週に3回くらいの日課にしようと思った。
雨の降ってる日は、ジョギングもできないし。
その後、石原慎太郎のことを考える。
今、石破茂は平壌との連絡所を日本に置くと話しているらしい。
対話が通じる相手じゃないから、拉致をしたりするのに、そんなものを設置するという時点で、石破茂も悪魔ならぬ、モンスターなんだなと許せない気持ちになった。
他にも、中国人に日本人の子どもが斬殺されたが、それに対する対応もほとんどなし。
せっかく石原慎太郎が強行姿勢で、日本の保守を守ってきたのに、このクズどもはどう処罰していいかもわからないくらいだ。
石原慎太郎が都知事4選を果たした時、東日本大震災が起こった。
彼は科学的に安全だから、福島の原発事故の瓦礫を他の地域が受け入れるべきと言ったのに、どこも受け入れないので、「我欲ばかりに走るから天罰が降るんだ」と言ったら、東日本大震災に遭った人たちは、天罰で死んだのかという、お前らのこと言ってるんだよとそのまんまのことも理解できないモンスターがいたが、今からでも見つけて、投獄して、終身刑にしてやってもいいと思う。
そもそも存在論の話からしても、一部の天才はミッションを果たすべく、ふつうその土地にいないだろう土地にいることがあるが、通常は過去の罪業からそこに存在している。
単純な話だが、日本ではこういう顔のこういうタイプの人間がいて、モンスター以下だから、即刻魂を消滅させて、出てこられないようにすべきと思うヤバイのがいるけど、イタリアでは見ないということが本当にあった。
僕が見てないだけかもしれないか、日本には、うじょうじょいるのが、明らかにいないので、実際にいないか少ないのだろう。
そういう背景がなくても、石原慎太郎に刃向かった、あの石原慎太郎の靖国神社参拝を反対した朝日新聞の柳沢や、石原慎太郎が中国を支那と呼んだことに対して、相手が嫌がってるから呼ばないほうがいいとキレたあの野郎も絶対に許さない。
中国っていうのは、中国が勝手に決めた、私の国は世界の中心なんだという意味を含んだ国の呼び名で、欧米が中心の中そんな呼称を使うこと自体がバカげてるし、あんな極悪国家、世界の中心にしていいわけがないどころか、消滅させた方が人間の平和のためだと思うので、僕もあの国のことは支那と呼ぶことにするが、あの媚中野郎は絶対に恨み続ける。
この日、英語と日本語をイタリアで勉強してる女性がどうも日本を間違って捉えているようなので、「日本は共産主義者だって宣言しないだけで、共産主義者みたいな奴がほとんどで、本人たちもたいてい、その自覚がないか、その罪悪の重みはわかってないみたいだよ。日本の保守とヨーロッパの保守が好きっていう人だけが別だけど、本当に汚くて、悪いモンスターブロックできる環境にいる人以外、そういう人が地獄を見る世界になってるから、気をつけて勉強した方がいいよ」という感じのことを話した。
相手はそのことに対する返答があまりなかったので、その女性とは、そういう厳しい話も半ば、楽しい話をしようと思った。
そんなわけで、朝の5時38分までいて、野営は終了。
満点の星空の中、野営ができて、しあわせだった。
帰る少し前に、こんな小説を思いついた。
「ミラノと決闘する男」という、フィレンツェで暮らしている日本人とのハーフでずっと鎌倉にいたイタリア人が、ストーカー対策で都市観察をすることを思いつき、ライターの仕事だけで一生やってくのかと父親に言われている中、都市観察のことと都市論を合わせたエッセイをSNSにアップし、それがフィレンツェの作家の目に留まり、対談をし、有名作家になるという話がひとつと、究極の恋愛小説、天上界の存在論がどうなってるかを話しながら、恩寵のような日々をフィレンツェで送る夫婦の話と、今回思いついたものが今のところある構想中の小説の中にあるが、これもいい。
石原慎太郎の太陽の季節記念碑で、毎週土曜日に野営をすることにしている書店員は、大学の頃から、保守作家になることが憧れだった。
中央大学で政治を学んでいたが、日本文学の世界はリベラルが多いため、認められることがないまま、25歳を迎えてしまい、アルバイトで勤めていた書店に正社員として就職した彼は、石原慎太郎のファンでもある。
石原慎太郎の死をきっかけにして、崩れゆく日本の政治と文学の概況に抗する1つの儀式として、石原慎太郎の太陽の季節記念碑の下での野営を思いつく。
野営セットを買い、毎週野営する彼に、夢で石原慎太郎が現れて、「あなたのような立派に国を想う方がいてくれて、うれしい」と言われるが、その日の朝、暴徒に襲われて死んでしまう。
「こちら第1部隊。第1部隊。逗子海岸、太陽の季節記念碑周辺異常なし、太陽の季節記念碑周辺異常なし。そちらは。どうぞ」。
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