南野 一紀
ローマで会ったイタリア人の女性と、ルーマニア人の女性、すごくいいひとで、一緒にお酒を飲んでいて楽しかったんだけど、このふたりには共通してる点があって、そのことを夜、お酒、飲んでる時によく思い出す。
こっちにもウイスキーはあるけど、みんなワインかスピリッツを飲むから、パーティとか女性との食事の席でウイスキーを飲むと目立ってしまうし、日本ではワインは高級品だっていうイメージがあるから、会社の飲み会とか、仲がいい男友達の前で「ワイン飲みたい」っていいづらい感じはどうしてもついてくる。
だけどイタリアではワイン以外の飲み物を飲むと、逆に「あのひと、ウイスキー飲むんだ」っていう空気になりがちだ。
僕は目の前に女性がいるのに二回も、カッコつけることも忘れてウイスキー頼んじゃったんだけど、やっぱりあれは失敗だったなぁ。
それはともかくとして、僕が会ったイタリア人女性と、ルーマニア人女性で共通してたのは、ロマンチックなムードが好きということと、ワインを四杯飲んでも、平気な顔をして車に乗って帰ったってことだ。
「イタリア 飲酒運転」で調べると、いろんな情報が出てくるけど、イタリアに三〇年在住してる日本人が書いたブログには、飲酒運転はこっちではよくあることで、運転中にアルコール検査をされたことはないとのことだった。
日本人でもイタリアに住んでる日本の人でも、交通ルールの違いに驚くひとはたくさんいるみたいで、交通ルールは当然守った方がいいけど、飲酒運転、スピード違反に関しては、気にしてる状況じゃないんじゃないかって気がする。
実際、フィウニチーノ空港から近くのホテルに向かった際、五〇代くらいのローマ人の女性のタクシーに乗ったけど、考えられないようなスピードでフリーウェイを飛ばしてたし、僕が一緒にお酒を飲んだ女性以外にも、飲酒運転をするってひとはいると聞いた。
もちろん、泥酔での運転はよくない。
でもイタリアはいろんな事情を考慮して、スピード違反や飲酒運転は厳しく取り締まってないんだろう。
話は飛ぶけど、イタリア人女性と、ルーマニア人女性に共通してたのが、英語と日本語を混ぜて会話する時、文法、話題を挟むタイミングがよく、規則正しくないことがあって、「今のタイミングで、なんでその言葉を挟んできたんだろう」とか、「なんでこのたとえ話、今、したんだろう」、って思ったことはしょっちゅうあった。
イタリアの作家・アントニオ・タブッキは短編小説「Forbidden Games」で、「言葉っていうのは道具でしかないんでしょう」って、窓辺の女性と書かれていたマダムに手紙で問いかけてたけど、実際にそうなんだろう。
僕も言葉はすごく大切だと思うけど、言葉のプロっていうのは、その言語を独自にアレンジできるかがカギだから。
ネイティヴ言語ではそれは難しいけど、第二言語とか、第三言語とか、第四言語ならなんの問題もない。
ローマの哲学者・ジョルジュ・アガンベンも、「ひとは第一言語で真実をいい、その他の言語で嘘をつく」って本に書いてたし、最近はそれがよくわかる気がする。
僕は自分の伝えたいことを伝えたい形で話したいって思うから、逆にどういうトピックや言い方、書き方で伝えるといいかってたまに考えるけど、なんのことはない、文法も話題も、言葉もアレンジしまくって、自分の伝えたい核心部分をいかに相手に理解してもらうかが重要だってことを、イタリアと東欧の女性からは学んだ。
僕の物書きとしての試行錯誤とか、今度好きな女性に会ったら、あの話したら楽しいかなぁとか、どんなたとえで伝えたらこの気持ちが伝わるかなぁとか、大人になっても少しは思うけど、そういう考え事そのものが小さい話だったってことは、イタリアとか東欧の女性としゃべると強く思う。
イタリアの女性と東欧の女性が使う日常英会話の言葉こそが、僕の追い求めた理想の文学のあり方のひとつだったんだから。
了
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