南野 一紀
人がよりよい未来を描けない時というのはどういう時なのか、考えてみれば単純で、それは過去の心地よさに縋りついて離れられないというパターンか、自己定義をしながら現在を徹底して生き、未来を変えようとしているにも関わらず、過去の記憶がどこからともなく忍び寄ってその人に襲いかかってくるパターンかのどっちかだと思うのですが、前者はともかくとして、後者のパターンの人を私は応援したいと思います。
過去を忘却すること。
どんなに過去を突き放そうとしても、人によっては部屋の中にいても、電車の中にいても、会社にいても、どこにいても過去が迫ってきて精神を蝕もうとすることはあります。精神的に成熟している人ほど、そうだと断言してもいいです。
私は今、さまざまな苦難に耐えきれなくなって、蒲田のギリシャレストランに逃避して、人が少ないことをいいことに小野リサの歌を聴きながらパソコンでこれを書いているのですが、パッ思いつく対処法としては二つあります。
1つは、「すべての文化がプラトンの注釈だ」という言葉を信じ切って、それから遠いものや人を徹底して敵とみなし、その人間を見下すことです。プラトンの哲学は過去を突き放そうとする精神性の結果である精神的成熟を重視しているので、これから遠いものを敵と判断して見下せば、心は軽くなるでしょう。
もう1つは、ジャンルそのものがサウダージ(郷愁)を大きな主題としている、ジョアン・ジルベルトと小野リサのボサノヴァを聴くことです。
ジョアン・ジルベルトと小野リサの大きな功績は、高貴に生きる人間にとって都合のいいキレイなサウダージを作り上げたことです。こんなサウダージは現実にはない、と非難する人もいるかもわかりませんが、そんなことはどうだっていいのです。
人間が明るく、自信を持って、美しく、楽しく生きるための糧になるものなら、まったく問題がないと思います。ボサノヴァは創世記において、政治思想的に人を幸福にはしない思想をベースにして出発しました。しかし、その憂いやネガティヴな要素を取っ払ってくれるかのように、ジョアン・ジルベルトと小野リサのボサノヴァは甘美です。
このレストランのメニューには「ギリシャではほろ酔いがルール」と書いてありますが、そんなの知っとるわい、それが外に出なきゃほろ酔いなんだろ、主観と周囲の判断はまったく別で、人間の最も高貴な主観性をワールドスタンダードの価値観の上位に置いて、それを人に信じ込んでもらえるかが世界のすべてだ、それ以外の価値はすべて高貴な主観性の注釈に過ぎないとも思ったりするわけです。
来世は美人のモデルに生まれたいなぁ。美人は往々にして内面も綺麗だから。裸一貫で、仕事も金も社会的地位も欲望も人間関係も承認欲求も全部解決だもんな。ウジウジ悩む必要なんかない。
そう思いながら、にこるんや森泉やローラのような美人と結婚したいなぁ、汚い人間は見るのも嫌だと考えつつ、ギリシャの酒ウゾに、思弁も、観念も、プラトンも、大切な時間も、小野リサの歌も、悩みも、過去も、現在も、未来も、すべて蒲田の夜のどこかにある忘却の彼方へと運ばれていくような感覚にとらわれたのでした。
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了
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