南野 一紀
数ヶ月前から、イタリアへ旅行に行くためだけに、語学交換アプリを活用しながら英語を勉強している。根性論が好きな私も、少しは大人な方法で英語を勉強できるようになったんだなぁと感じている、今日この頃。
勉強がてら、英語で日本の文化を紹介するという類の本を読んでいたのだけど、意外にも文学に多くの紙幅が割かれていて、しかしあろうことか、そこにはリアリズムや実存主義の作家がどうとかいう、なんとも苦しいことばかりが書いてあった。
そんなことを日本の文学だと発信したら、人に与えたイメージそのまま、暗澹たる振い舞いをしなきゃいけなくなるだろ、と心底思った。
昨夜はそんなことを考え、ろくに寝られなかった私は、今、本業の不動産オーナーの仕事が終わった後、メトロのざわめきに紛れ、華の金曜日の路地で、秋の夜風を感じつつ、プラトンも愛したあの気まぐれに身を任せ、慣れない土地湘南は大船までわざわざやって来たのだけど、行きずりに見かけた「Dolce vita」(フェデリコ・フェリーニの大傑作、甘い生活のタイトルを名前にしたイタリアンレストラン!)に立ち寄ってしまい、ここんとこダイエット続きだったしなぁと臆面もなくみずからに言い訳をしながら、シチリアワイン・ソレア(イタリア語で太陽という意味の言葉だ!)を呑んで呑んで呑んだくれた挙句陽気になり、さんまと花ガツオのアヒージョを食べては、明日は文学情報サイトの検索ランキングを上げるブログを書くためだけに行く保坂和志『季節の記憶』の稲村ヶ崎聖地巡礼かぁ、どうせなら逗子にある石原慎太郎『太陽の季節』の碑石でも見に行きたかったけどなぁなどと、ぼんやり思いつつそののち突然、フランス語で小説はromanだった、イタリア語でもromanzoだ、そうだ、南欧ではロマンを前提に小説、ひいては世界の精神が成り立っているんだと、稲妻に撃たれたように酔いの中で思い出し、とある言葉が私の頭を殴りつけた。
天才とは、彼らの世紀を照らし光輝くべく運命づけられた流星のことである!
その通りだ! せっかく文学やるんだったら、自分の精神を燃えたぎらせるべく、なにをやってでも、己が人生かくありき、と言わんばかりに観衆に対して存在のあり様を見せつけてやらなきゃダメなんじゃないのか⁉︎
それでも現実は厳しいかな、そんなことを思っていてももう閉店で、ワインを勧めてくれた店員に、「dolce vitaって、映画の甘い生活のことですよね。今まで観た映画の中で一番好きなんですよ」と言ったら、「観たことないので、気にしてみますね」と返答されてしまい、途方に暮れて人生論、酔いにまみれながらホテルを目指しつつ、あまりに距離のある観念そのものであるところの永遠の美のモデル、王女であるべき人と、その人への一方通行な美学と美学への想い、そして愛そのものを愛のままに愛し、すっかり冷えた夜の街を一人行くのだった。
了
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