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評論 アニー・エルノー「もうひとりの娘」 ロマンのための神学批判、本当の聖女とはどんな存在か

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南野 尚紀 

 アニー・エルノーが、この幼い頃の家族写真を1つの小説の中に描くようにして、その実、実行したかったことは、赤裸々な女性作家の告白の様相とは大きく異なっている。

 もちろん、本作が赤裸々な女性作家の告白のスタイルを取っていることは、美学的なセンスを考慮すると素晴らしいことだが、問題はどのようなことを表現したかったのかということだ。

 実際に、彼女が読者に扱いたかった問題は、ギリシャ悲劇である、オイディプス3部作、エレクトラ2部作などに描かれている、家族の物語を背景にした悲劇には欠落した部分があるという問題であり、おそらく、小説に描かれていない地獄の時間がアニー・エルノー本人には流れていただろうし、事実上、ギリシャ悲劇の欠点を埋めることにより、悪の攻撃をブロックし、悪を消滅させるという狙いがあるのだろう。

 彼女は、「私はいい子じゃなかった」、「宗教的な事柄への渇望を態度に表すほうではなかった」と書いていて、その表現が、小説の核心を物語っている。

 母親の話していた夭折した姉の話、それはアニー・エルノーへの非難だったが、それを聞いた後、考えられないようなケガ、破傷風にかかるなどの不幸を経験したことを、彼女は偶然とは考えていないだろう。

 「ある種の恩寵とある種の呪詛の間に置かれていた」と、小説には書かれているが、恩寵は父性を司る父親の側に、呪詛は母性を司る母親の側にあると、彼女が認識していたからこそ、破傷風の話を書いたセクションと同じセクションに、このセンテンスが書かれていることは自明だ。

 姉の批判は神学の弱点を暴くことにつながっている。その上、古代から軽視されてきた女性的な美学の方が、優位性があるという事実の表明にもつながっている。

 聖女としてのイメージを持つ姉は、夭折しているため、事実関係が不明な部分も多い。

 偶然にも彼女の置かれたこの状況は、神話・美学などへの信仰がほとんど絶たれてしまった現代の状況において、この人の本来あるべき姿は、存在論的に考えれば、こうなのだろうと類推する以外にない状況と類似している。

 古典は素晴らしいものだが、男性の持つ女性への眼差し、聖女のイメージへの懐疑の念がほとんどないのは不可解だ。本来、ファムファタルとして描かれている女性の方が、聖女であり、美学的に優れている、神学的にも敬虔さがある、男性に都合のいい女性としてのイメージの外にある、普遍的な善悪を直観することのできる女性の正当性を主張したことが、この小説の大きな役割だ。

 アフロディテなど、古典にも例外的に、男性に都合のいい女性ではない女性を神聖視している例があるが、その女性のことを本当に見て、考えていない。

 もちろん、神聖な女性なので、神聖視すること自体はいいことだが、存在を捉えきれていないのは事実だろう。

 作中には、「食い意地が張っている」、「何でもご存知のお嬢様」、「感じの悪い子」、「体に悪魔が憑いている」と、母親から言われていたということが書かれているが、これが普遍的事実なのかということを、作者は問いたいのだろうし。

 悪の断罪は、罪の量ではなく、悪行の質で判断すべきだという普遍的事実を念頭に置くと、彼女の書いたことは、大きな意味がある。

 この小説は、死者になった姉への手紙として書かれているが、文学作品というのは、基本的に、天国か、煉獄か、地獄へ当てた伝令だ。

 つまり、神学的な視点から見た時に、メタ構造を取っていると言える。

 そして、それは普遍的な事実でもある。

 「もうひとりの娘」を読む上で、欠かせない視点がもうひとつある。

 それはアニー・エルノーが、恋愛小説で追いかけている男性との関係だ。

 アニー・エルノーが生活を基底部に据えた小説を書いたのは、彼女の最愛の男性との補完関係によって、最愛の男性に欠けている生活の地味を補完するためでもあるのだ。

 天国の話は、きっと彼が書くだろう。

 そう考え、呪術としての小説である本作を傑作に仕上げなかったのは、呪術の価値を必要以上に高めてはいけない、悪が残ってしまう余地があるからという意識なのだ。

 彼女の文学は、ロマンにこそある。

 そうであるがゆえに、明らかに、本作品は彼女の文学の頂点であるロマンのための補遺として存在している。

了 

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