南野 尚紀
オルガ・トカルチュクの『優しい語り手』の評論は2本書きましたけど、その本の中にはこんなフレーズがありました。
「なぜ中欧は一度も、偉大な大旅行家を生み出さなかったのか?」、「なぜなら、自らの内面を旅するのに忙しかったからだ」。
これは彼女自身のフレーズではなく、アンジェイ・スタシュクというポーランドの作家の言葉だそうですが、エッセイストや小説家というのは、少なからず、内面の旅行家なんだなとはいつも思います。
僕もエッセイを通して日々、内面の中で好きな女性を探し、彼女を呼び、彼女に会えたらと思い、会えるということがあるのですが、美に厳しくあろうとすればするほど、内容は奥深くなってきます。
そのこと自体には満足していますし、高貴な彼女と会う準備と考えれば、より満足なのですが、その反面、テラピーのような安らぎの文学というのがもっと必要だと考えてます。
現代では、ロシアの軍事侵攻をはじめとして、グローバリズムの限界が叫ばれ、人々は疲弊し切っています。
そんな時、文学にできるのは、美学・倫理の正しさを深め、届けることですが、癒すこともできます。
僕はどうも美に厳しい女性が好きなので、そういうエッセイを書くことが多いのです。しかし、彼女の安心する面を忘れて、自分もエッセイでそれを書かなきゃと思うことはよくあります。
そんな前置きだと癒しの話もしづらくなってしまいますが、とりあえず書いてみます。
僕は将来の結婚相手とどんなデートをしたいかっていう想像をするのが好きで、たまに不意にしてしまうのですが、そんな中にこんなのがあります。
静岡の伊東に昔、友だちと行ったことがあって、旅館でホッケ定食を食べた後、部屋の窓から灯台が見えるっていうことで、灯台の方まで歩いて行ったことがありました。
真っ暗な中、ライトアップされた橋がキレイだったのを覚えているのですが、灯台の真下は真っ暗で、鉄門で仕切られていて、入ることはできませんでした。
僕は彼女とあの伊東の温泉地に行って、2泊3日で1日目の夜は、街の方をブラブラして、海鮮丼やホタテを食べたりして、2日目は灯台の方に行ってみたいと思っています。
「久しぶりに夜の田舎、来た。真っ暗だね、ほんと」
「都会は灯りがすごいからなぁ」
「尚紀さんって、寂しいところ好きだよね」
「僕は文学やってるでしょ。文学っていうのは、寂しいって感覚とともにあるからね」
「星屑ロンリネスみたいな」
「それ古くない?」
「尚紀さんの方が古いんだって」
「古いのがいいんじゃん。古いものほど安心するんだよ。そうそう、30歳くらいの頃、無性に灯台守になってみたいと思ったことあってさ。もちろんなれるわけないんだけど」
「それはそうでしょ」
「だから、小説に書いたんだよ。海辺の街のレストランに勤めてた男が、常連の海上保安庁の人に、『若い頃、灯台守になってみたいと思ったことがあるんです』って話すんだけど、それでカギもらって1日だけ、灯台守になるっていう話」
「ロマンティックなのか、なんなのか。尚紀さんらしい」
「ありがとう。エッセイ書いてる時とか、夜、部屋でじっと1人で、ウイスキーとか飲みながら、ステキな彼女ができないかなって待ってる時の感じって、灯台守のイメージに似てて。間宮貴子の「真夜中のジョーク」とか、Leyonaの「7seas」とか、海に車飛ばすっていう内容の歌あるんだけど、あの感じってどうも好きなんだよね」
「車の方はわかる。80年代とかに流行ったイメージだよね。尚紀さん、今度ドライブしよう、湘南とかさ」
「いいね、しよう。仁美さんの運転で」
「もう」
という想像で最後、灯台の近くに行った2人は、お互いの着てるジャンパーやキャメル色のコートを重ね合わせキスをするという、それだけなのですが、どうでしたか?
どうでしたかもなにもないですよね。
でも文学は、内面の旅をするためのものでもありますし、内面まで彼女とわかり合えて、一緒に内面の旅もできたらなぁ、と思います。
宇宙旅行なんかよりよっぽど楽しい気がしますけどね。
たまにはこういうぜんぜんソフィスケイティッドされてない、テラピーのエッセイもあれこれ雑記に書きますね。
了
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