南野 一紀
芸術っていうのはさ、作り手も読み手も場合によっては、その心を食い潰してしまうような魔物でもあり、注意して接しなくてはないのはみんな知ってることだけど、それでも人間の心の中にある考えや悩みに分け入って入り込むことで見えてくる光明や美学というのも確実にあるから、芸術っていうのはやっぱり捨てておけないなぁって思うんだ。
芸術が人の心に光をもたらす瞬間っていうのは、あくまでも陽気な精神性でもって芸術を迎え入れる余力がある時だし、そうでない時ほど芸術っていうのは、本来距離をおいて接するべきものなんだろう。
僕が大好きなモデルのにこるんは、ネットでもラジオでも、美しい振る舞い、時には変態じみた下ネタのギャグも飛ばすんだけど、実際を言えば、モデルや経営者の言葉で満足できれば、芸術に触れる時間というのはほんの少しだけでいい。
輝かしいモデルや経営者の栄光や言葉。
それらは光に満ちているけど、それでも時に人は、誰かの嘆きや苦難を含んだ勇姿を見たくなるのはなぜなのか。それはおそらく、苦難がなくてもいいと言われても現実にあるのであれば、やはりその事実と向き合い立ち向かわなくてはいけないからなんだろう。
中上健次も石原慎太郎もダンテも、普通だったら向き合うことがなかなかないような困難に立ち向かって、人に本当の喜びや愛を伝えてくれるから、最高な作家だよな!
にこるんの結婚が間違ってるとか、稲盛和夫の言葉が苦難を含んでないということではまったくなくて、二人には思いっきり吐露することのできない言葉を大胆に吐けるから作家はいいんだろう。
作家の美学っていうのはさ、偉人とかモデルが立場上、言えないことを吐いて吐いて、吐きまくって、偉人やモデルを正しく評価し、あくなき批判の声と立ち向かう、言わば、毒舌コメンテーターとか、美人コンテストの審査員みたいな感じでいるのが最良なんじゃないかなぁ。
にこるんがラジオでさっき「ダイエットすると、友達が減る」って言っていたけど、かくいう僕もダイエットに燃えた挙句、友達を四人は減らしたから、納得のいく至言だった。
最近はランニングをしながら、石原慎太郎のことを思い浮かべている。
彼は美人が好きで、政敵と戦い続けて、本当のあるべき美しい国日本のための政治を貫いた人だったけど、世間の評価は思いの外高くない。
政治家としても偉大だったし、絵描き、スポーツマンとしても偉大だった彼は、最後まで作家であり続けたけど、彼も芸術の中に棲まう魔物や心の中に潜む政敵と戦いながら、作家活動を行なっていたのだろう。
ランニングの目的は、単なるダイエットだけではなく、人の心を食ってしまう芸術の魔物を押し除けるための儀式みたいなもんで、家事もそうだけど、そういう時はあんまり観念的なことは考えないようにしている。
結論を言えば、芸術の中に棲まう魔物と戦いながら、それでも勇姿を見せるため、モデルや経営者の吐けない戦いの軌跡を言葉にするために、人は芸術に挑むんだろうな。
今日はなんだか、にこるんの言葉に救われたなぁ。
あまり芸術のことや経営のことばかり考えると、頭が疲れるから。
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了
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