南野 尚紀
地上においても、状況が変わると、物事の価値基準を司る目線の高さが変わる人間というのはいるが、天国でもそのようなことはあるらしい。
肉体、物質という、人間が捉えてしまいがちな価値基準で具体化して物事を考えることが人間には多いが、天国には肉体、物質というものがない。
少なくとも、人間が考えるような形での、肉体、物質はない。
しかし、それに取って代わるようなイデアはおそらくあるのだろう。
つまり、観念的な意味での目線の高さもあることになる。
それは、明確に言えば、認識の高さでもある。
パーティ、会議、議論に参加している時、この人は教養が高い、学識が高い、美学的な意識が高い、仕事に対する意識が高い、と思うことは大人ほどあるだろう。
これらのものの高貴さは、比喩的にいうところの目線の高さにつながってくるわけだが、天国ではこれが現れるのだろう。
地上の世界で、教養、学識、美学的意識、仕事に対する意識など、総じて認識が高いにもかかわらず、場合によっては、それを無視できたり、わからないと言って、認めないことが可能だったりする。
実際、ロシアは国連の考え方を今回の戦争に反映させるべきだと、国連が作った国際法を無視した攻撃を2025年3月の時点で、18,300件はしているにもかかわらず言っているのは、矛盾に極みだが、地上だから、自分が理解できないものを一方的に無視できるのだ。
わからないと居直って、無視し、自分の意見を通そうとする、しかも、相手の認識が高いにもかかわらず、居直って無視するということは、悪の取る常套手段だ。
当然だが、悪は今後、消滅するか、管理される地獄にいる。
よって、天国には悪ない。
地上というのは、そこも不完全なのだけど、おそらく、天国では、認識が高い人間の魂、天国の身体と言ってもいいが、これが大きく、高く見えるのだろう。
断言してもいいが、議論が得意な人間ほど、議論をしている時、背が高く見える。
天国を類推する方法はいくつもあるが、その1つは、地上では、それが具体的に起こらないのに、実際に具体化されないとおかしいくらいの影響力を持っていて、それに対応する善の意味の比喩表現があるかどうかで、それを使って天国がどう存在しているかを割り出すこと可能だ。
議論している時、相手の話している議論の次元が高すぎて、なにを言っているのかわからない場合は、天国では、もう顔も見えないくらい、自分との身長差があるということになる。
地上では、身長が大きければ大きいほどいいわけでもない。
天国では、地上で極端とされるものは、極端な形ではなく、美学的に洗練された形で現れるのだろう。
高次元な議論をしている人が、実際に背が高く見えるのではなく、あり得べき最高の形で、存在しているのが天国なのだろう。
実際に、天国で、神、女神、天使がどんな姿で存在しているかは、人間にはわかるわけもないが。
認識の高貴さと結婚は地上でも関係があるし。
認識の低い人間と結婚するなんて考えられない、なぜなら普段からずっと顔を合わせて会話をするんだから。
女性に「会話が高級すぎる」と判断されて、フラれたら、次、同じ女性がきっと別の姿、認識で待っているだろうし、天国では、同一人物が、姿のようなもの、認識を変えて、すぐに現れるのだろうし。
了