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評論 保坂和志 第80回 『鉄の胡蝶は夢の記憶に歳月に彫るか』 保坂さんは来世、AfDの党首になり、ドイツ首相として国家を統治し、ヒトラーみたいな女性と結婚するだろう

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南野 尚紀  

 保坂さんはこの小説で、批評精神に満ちている小説という小説に対する評価を批判しているけど、僕はそもそも小説はどこまでいっても、フィクションだから、エッセイと論文しかなくていいと考えているし、それは大袈裟だとしても、天国にはエッセイしかないんだろうということはよく考える。

 イタリアで作家活動するときに、文学教室、ワークショップ、文学賞などを見ると、小説という限定つきのものが多いので、仕方なく、エッセイでも書けるものを強引に小説にしているんだけど、小説、詩は、その方法でしか殺害できない共産主義者、リベラリストを殺害するための道具でもあり、本当は幸福な経験、精神的な成長、恋愛的な神学、国家論、天国論などを書いた事実の話だけを書くことが、理想をよりよく叶える上で最良なのだろう。

 比喩もない、意味のないリアリズムもない、理想の思考と幸福な意味に満たされたエッセイ。

 比喩は限定された女神だけが行使する美しい世界!

 本来、これのみが書かれるべきだ。

 実際、保坂さんがこのエッセイ小説を小説と銘打っている理由は、書くものと書かれるものの問題、小説、小説内のメタフィクションの次元、小説を書いている作家の次元の交錯にこそあるだろう。

 実際は架空に見えるような小説が、現実の書いている作者にも密接に関係があり、受難をリアリズムで書くことは、殉教者を褒め称える上でもいいし、敵の魂を消滅させる上でもいいということも理由の背景にはある。

 フィクションだから、悪と距離を置いて、的確に魂を消滅させる方法になるし、証拠の残らない悪をはたらいた人間の魂を、より証拠の残らない形で消すにはいい方法だ。

 もちろん、その前提で、保坂さんはエッセイ風の小説を書いているんだとは思うけど。

 僕はそもそも悪がまったく存在していない世界、天国を想定して書くことによって、悪は存在していないことを書くまでもなく証明し、悪の魂は必ず消滅するということを書いている。

 天国には保坂さんの嫌いなエンタメはない。

 悪がつけ入る隙になるからだ。

 イタリアでも娯楽は制限され、そこそこの文化的な水準になると、娯楽には手を出さない。普通に、ファッションデザイナー、アーティストがその辺のパーティ、バルにいるということなので、イタリアはそのことを理解しているのだろう。

 前回の評論で、好きな女性のこと以外一切書きたくないが、三島由紀夫、中上健次、石原慎太郎のような殉教者のことを書かないわけにもいかないから、義理で書いているし、カルチャーセンター、日本にいた作家として仕事をする上で、どうしても書く必要もあるから、仕事として書いている。

 天国論でも、彼らの本来あるべき姿、つまり、恣意的実体であり、可能理性のよって迷うことがない天使的な部分だけで存在している、神としての三島、中上、石原を書きたいと思っているし、石原慎太郎は神様ではないかもしれないけど、神に仕えるものとして存在しているとは思うから、そのように書いきたいと考えているところだ。

 天国も好きな女性だけで成り立っているわけではないし、そのことは当然、保坂さんは知っている。

 知っているからこそ、この小説を書いているということは自明だ。

 カフカはチェコ、当時のオーストリア=ハンガリー帝国を意識して小説を書いていただろう。

 しかし、その実、土地には固執しなかった。

 三島、中上、石原は土地に固執した。

 しかし、その違いがあるだけで、実際には、カフカも同等に殉教者だし、普遍的善悪、普遍的美学と土地の両方を考えることが時代の問題で難しかった分、その4人に限界があったし、その分だけ、4人は善ではないことになるが、その分だけ、殉教させられたということにもなる。

 美人が汚い人間を汚いと言えないように、代わりにそれを言う人間が必要だし、作家はそうあるのが善だろう。もっと言えば、汚いと言わずに、魂がどう汚いか、消滅すべきかの議論を作品、議論で展開し、天の法を変えて、消滅させることこそは善だろう。

 保坂さんは、平社員に気を使う文章を書いているけど、共産主義者、リベラリストは、労働していることを大義名分に、偉大な人間、美人の人生を遅延させる、場合によっては、精神的に殺害するということをほとんど例に漏れずやるし、例に漏れた場合、例外を作るためだけに、それをやらないでいると断言してもいい。

 平社員にもそういう人間は多いし、多くなかったらこんな世の中にはなっていない。だから、派遣社員が増えたこともいい部分はある。

 僕が考えている「リモート帝政論」は、分断の時代にリモートで悪人、悪人が多い地域を管理、統括し、悪行ができないようにする、善人だけが、ネットなどの遠隔情報を得て、文化から救われるようにするべきということが理念にある理論だが、ルネサンス文化は、飛び地で、ルネサンス文化に共鳴した土地だけが栄えたという歴史があるそうだ。

 労働を大義名分に悪をはたらく以上、仕事を与えてはいけない悪が世の中にはいる。

 親権もそうだが、悪人が親にならなければ、オイディプス王、エディプス・コンプレックス論なんていう、悪の作品、理論もなかったんだろう。

 魂が消滅するか、リモート管理されるか。

 悪人の運命はこれだし、少なくても、僕は心の中でそれが叶うように念じ続けている。

 連想文を感想文の代わりに書くというのは、おもしろい試みだ。

 本人の意見としてではなく、連想として言えてしまうことで、責任を負わない教育をする相手に、責任を追及できない方法で批判を行える場合もあるし、精神的な深みも表現できる。

 もちろん、連想文は悪用される危険性もあるが、教育というのは、本来、無意識を深くしたり、浄化したりすることが前提にある。

 教育もそうだが、これはカフカの話にもつながってくる。

 大義名分、表面的な存在理由もない悪もあるから、不条理小説は価値があるということにつながってくるのだ。

 カフカの『審判』は冒頭しか読めていないが、突然、部屋に男が侵入してくることに理由、口実、大義名分はない。

 というか、ヨゼフ・Kには冤罪があるだけで、理由はないし、突然、部屋にいたことは説明ができない。

 悪の本質を突くこと、保坂さんはさらに、リアリズムで悪とはなにかを書ける人であろうと僕は思っている。

 保坂さんの小説の中に、突然、だれが話しているかも分からない会話文が、脈絡もなく入ってきて、なぜそれを言ったかもわからない文章があるのもカフカ的だし。

 19世紀リアリズムの小説は、ほとんど読んだことがないが、ロマン主義以降の小説の失敗は、社会性を鑑みた上で、破綻のない現実描写にこだわったことにあるのだろう。

 要するに、19世紀リアリズム小説の限界は、相対主義や唯物科学的なものの味方を肯定してしまうことになるのだ。

 僕は神学的・無意識的な主観で、エッセイを書いているけど、社会がいかに神学、スピリチュアルの話を無視してきたかは、現代社会の闇と大きく関わりがある。

 僕は天国論だけをやりたいので、地獄論はやらないが、日本がなぜ窮地に立たされているのかはなぞだ。

 そもそも天国と違って、住人が罪を犯して、地獄になったのかもしれないし、住人は罪を犯してないが、悪からの冤罪、恫喝などにより、半強制的に悪行をはたらくことになったのか、詳細は不明だ。

 保坂さんの黎明論に問題があるとすると、歴史の重要部分を否定すると、天孫降臨も否定されることになるから、それは北朝鮮の拉致問題をも許すことにもなる。

 北朝鮮は科学的な進歩史観で歴史を見ているらしく、日本人は大陸から来た渡来人だから、元は朝鮮人、だから拉致してもいいという大義名分にもなってないような大義名分で日本人を拉致しているらしい。

 日本の保守に悪いところがあるとすれば、それはロシア、中国、北朝鮮のせいだとすべきだろうと僕は思っているし、それで納得している。

 本来、日本が伝統のいい部分を保守しながら、ヨーロッパの保守であるべきだという理想は、単なる理想論ではない。90年代にはそれがある程度、実現したから、理想ではないのだ。

 あれは、明治維新、そして、高度経済成長の賜物だったのろう。

 日本の保守のどこが悪いかと言えば、女性観がヨーロッパ的でないところだ。

 ここが改善されると、相当に違うだろうし、参政党の吉川りなは、そのことを理解して、政治をやっている。

 政治家に高給を与える必要はないという理論も、キリスト教的な清貧思想から考えると間違っていないように思う。

 偉大な仕事を成した人間にはそれ相応の報酬はあってもいいと僕は思うが、仕事のために悪いことをやってもいいということ、お金のためのみに政治をやることは、人権侵害が横行している中国との交易を断絶できない事実とつながっているし、それが日本経済・政治の病巣なのは火を見るより明らかだ。それが止められなければ、日本は中国に支配される。

 「猫を比喩として使わない」は、保坂さんが昔から主張していることだけど、猫を日本の女子高生みたいに見てるんじゃないか、もっと言えば、余計なお世話かもしれないが、それは奥さんに失礼なんじゃないか、という疑念は浮かぶ。

 猫はその実、人間の心を読む、社会的に高度な動物なので、僕は比喩として使わないまでも、意味を含めないで書くことには共感はない。

 猫の心理を深く理解してこそ、猫に対する愛情が深くなるというのが僕の持論だからだ。

 この小説のもっともおもしろかった部分は、「――恥辱は四つ這いになってKが処刑された石切場をいつまでもうろついていた――」が、『審判』のラストでも良かったというところだろう。

 敵を遅延と苦痛の地獄に落とす方法は、いくつもあるだろうが、それを想起させる内容でもある。

 精神的な恥辱が、精神領域を犯し、徘徊していて、それを促している悪が存在しているという科学的な根拠がほとんどない事実がある以上、悪とは徹底して戦うべきだし。

 保坂さんが、昔、エッセイで、若松孝二が「俺は警察を殺すための映画を撮っているんだ」と話していたということを書いていて、僕はそれに惹かれて、彼の映画を見たことがあったんだけど、なるほど、保坂さんはこのことを忘れずに、今も悪と戦っているんだなということがわかった。

 それにしても、なぜ日本には軍警察がないのか、軍警察が治安を守れば、軍隊の地位は向上するのにというのは、余談だが、若松孝二、保坂さんの問題意識につながっているだろう。

 実際、評論の効果が及ばない、迷惑系YouTuberやそれに準ずる悪はいるし、そういう悪は古来からいるんだろうけど、そういう類の悪には、悪の言葉には意味がないとして、辞儀通りに考え、消滅させるという手法も1つある。

 悪魔の声は聞かない方がいい。

 ただ悪の現状把握を事実誤認がないように行う必要は、悪が消えるまであるかもしれないと考えることもある。

 保坂さんの奥さんは、よさそうな人だと僕は勝手に思っているんだけど、来世は、ドイツでネオナチと言われているAfDの党首・ドイツ首相になって、ヒトラーみたいな女性と結婚するのかもなとか思った。

 僕は永続的に好きな女性と天国にいるつもりだけど。

了 

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