南野 尚紀
チェコの映画監督・ヤン・シュヴァンクマイエルの映画『オテサーネク』は、イタリア映画ではないので、本来、イタリアンカルチャーとして紹介するべきものではないが、その実、フィレンツェ文化と関わりが深いので、ここで紹介することにする。
映画のあらすじは、こうだ。
若い夫婦が子どもを作ろうとするが、子どもができず、そのことに悩んでいた。少女の見解だと、男の方に問題があるのかもしれないという話も出てくる。男はある日、少女の父親にすすめられて購入した森の中のログハウスの近くで、木を伐採していた時に、切り株を子どもに見立てて、奥さんに見せたらよろこぶのではないかと考え、奥さんに見せる。しかし、奥さんはそれを本気にして、切り株を育てると言いはじめた。
奥さんは周囲に子どもを孕ったことを話してまわり、子どもを妊娠している、果ては、子どもを育てていると言い張って、世間の目を凌ぎながら生活する。
切り株はオテサーネクと名前をつけられるが、オテサーネクは人間を食うモンスターへと変貌し、福祉課のおばさん、郵便局員などを食べてしまう。
夫はオテサーネクを地下に封印すると決断し、オテサーネクが寝ているところを縄で縛りつけ、棺のような箱に閉じ込め、餓死させようとする。
しかし、同じアパートに住む少女はオテサーネクにエサをやり、オテサーネクを生き延びてさせてしまう。
少女は自分を性的な目で見ていた老人をオテサーネクに食わせ、オテサーネクを電動ノコギリで殺そうとした夫も、オテサーネクに食われてしまう。
少女は民話『オテサーネク』を読んで、今、目の前で起きていることの真相らしき物語を知り、それを信じる。
そして、少女はキャベツを育てているおばあさんが、クワでオテサーネクを殺すだろうと予感し、クワを盗む。
おばあさんはクワを再度、盗もうとした少女を捕まえて、少女が隠れて読んでいた民話『オテサーネク』の本を読む。
もともと、周囲の人間が殺されていることに無関心な人間に警鐘を鳴らしていたお婆さんだったが、最後は街のために、1人、クワを持ってオテサーネクを殺しに行木、オテサーネクの腹から羊飼いが出てきたとモノローグで流れる。
あらすじだけを書くと、詳細が抜け落ちてしまうが、少女の父親はビールを飲むのが好きで、少女があやしい本を読むことを叱っていたが、最終的には仕事に逃避して、事件に関与しようとはしない。
少女の母親の方は、殺人を犯しているらしい人間のことを察して、戦う姿勢を示す。
このような詳細はいくつもあるのだが、これ以上は説明しても伝わらないと思うので、実際に見てみることをオススメする。
僕がエッセイに持論として、ソ連崩壊後、東ヨーロッパの問題から世界が逃避したから、2000年あたりから文化が衰退し、果ては、ロシアの軍事侵攻、武漢ウイルスなどの問題に発展したというものがあり、それをよくエッセイ書いている。
この問題は本作とも関係があるだろう。
クワでオテサーネクを殺しに行くおばあさんの話は、ゴリアテを殺したダヴィデ、メデューサを殺したペルセウス、母親殺しの像を作ったミケランジェロ、『モナリザ』を描いたレオナルド・ダヴィンチ、『プリマヴェーラ』を描いたボッティチェリ、『神曲』、『帝政論』を書いたダンテと関わっていて、おばあさんの担う役割と、フィレンツェ文化が表現しているものには共通点がある。
チェコは共産主義政権がソ連の支配によって成立してしまったことにより、多くの問題を抱えたが、今度こそ、共産主義政権を根絶やしにする決起なのだろう。
オテサーネクは共産主義社会が発生させてしまった悪の象徴なのは、言うまでもないが、この作品には、悪を根絶するヒントが多く隠されている。
法則により決定していることがあるのだとすれば、その法則を使って、悪が出てこないように、世界全体で見張っていればいいのだから。
しかし気になるのは、作中に出てくる男女が善人であるにも関わらず、オテサーネクというモンスターを出してしまうのはなぜかということだ。もちろん、世の中には一定の法則がある。
作品では、その法則が明かされている。作品外のことになるが、重要なのは、恋愛感情が希薄な結婚をすればするほど、子どもにも悪影響が出るということなのかもしれないし、共産主義社会、共産主義の悪影響が世の中に波及すれば、波及するほど、善人の結婚、出産に悪影響を及ぼせるのかもしれないということだ。
善人の同士の遺伝子が、悪性の遺伝子を残すということは、一般論的な視点で考えても、ほとんどないようだし。
精神病は1998年あたりから、グローバリズムの加速に伴い、増加しつつあったとされているが、決定的なのは、武漢ウイルスの影響のようだ。
2019年時点では、精神疾患の有病率が、世界人口に占める割合の13%だったにも関わらず、2020年には、約25%に増加した。
これらは文化の共産主義化、つまり、無機的な文化、悪い意味だけを追求する文化が増加したこととも大きく関係があるだろう。
科学的な証拠までは提示できないが、共産主義、リベラリズムは、善人の子どもをモンスターにしたり、善人を含む人間を精神病患者にしたりするということなのだろう。
グローバリズムは共産主義にとって都合がよかったのだろうし。
僕はフィレンツェに住むが、東ヨーロッパの問題というのは今後も追いかけ続け、文学作品、政治評論に書こうと思う。
当然、東ヨーロッパの芸術作品もたくさん鑑賞して、東ヨーロッパのこと、主に今回の戦争のカギを握っているポーランドのことをもっと知りたいし。
了