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天国について考える

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南野 尚紀 

 作品を書いている時、別れた女性たちのことを考えている時、未来に出会うであろう女性のことを考えている時、最愛の人にお祈りしている時、これらの時間は主に、「天の法を変えて、彼女に会いたいです」とお願いしている時間でもあるし、死んだ後、行くとされている天国のイメージ図を書いている時間でもあるんだろうと思うことがある。

 天国のイメージ図だけではなく、天国の法、天国で僕、最愛の人、仲間がどう存在しているかを考えているんだろう。

 僕もいずれ、僕の中のイメージの天国がどうなっているかを、現実に生きている自分が感じていること、それからの類推によって描いてみたいと思うことはあるが、そうするまでもなく、今まで書いてきた作品、考えてきたこと、お祈りしたこと、その集積が天国を形成している部分も大きいのだろうと思っている。

 ダンテは『神曲 天国篇』で天国を描いた。

 僕はまだ読んでいないが、ダンテにとって理想のメンバーでパーティをしているようになっていて、この人はこうだとか、天国はこうだとか、神様はこうだということをエッセイ的に書いている作品になっていることを、少し読んだ限りで察している。

 古典の作品には、天国について描いた作品というのがよくある。

 現代では、それも少なくなってしまったが、ボサノヴァの名曲「Corcovado」は、実は天国について書いた曲なのだろうと思う。

 実際には、コルコヴァードの丘が見える部屋で一本のろうそくの灯りを頼りに、彼がギターを弾き、彼女に対する愛を告げるという内容の歌詞だが、これは現実の描写をしているだけで、天国のことを書いているんだろう。

 キリスト教では、イエス・キリストは、神が人間の姿を取って現れた存在だと言われている。

 現在の教皇も、「あなたの中のイエスを育てることが、幸福への道」と、Xで発信していたと思う。

 つまり天国が現実世界に反映された瞬間を、アントニオ・カルロス・ジョビンは歌にしたのだろう。

 スピノザは、神は信仰心の強さに応じて、すべてのものに宿るということを『エチカ』で書いているそうだが、これは神だけではないと僕は思っている。

 好きな女性に対して祈れば、その信仰心の強さに応じて、彼女がすべてのものに宿り、彼女と関係のあるもので満たされていくだろうし、本来の彼女が現れることもあるだろう。

 もっと言えば、神に祈るのが難しければ、友人の中にいるイエスが顕現している人を信頼し、愛することで、神が偏在し、幸福への道が開けるのではないかとも思う。

 天国が存在することを信仰し、思い描けば、現実にも存在するようになるだろうし、死後も本当に自分が思い描いたものに近い天国に行くことができるようになるのかもしれない。

 僕の推測では、天国では、人間関係をよりよくするためにみんなで魂の会話をしたり、音楽、演劇、美術、文学など、天国をよりよくするためにアートに勤しんだり、お酒をバーで飲んで、地上での話、天国での人間関係について話し合ったり、それが地上界に関わっているので、時々、政治的な議会を開いて、だれを地上に派遣するか決めたりするんだろうし、もっとやることがあるのかもしれない。

 天国でみんながなにをやっていて、どう存在しているのか、考えてみることにする。

 審判を信じる人間には、現世にも審判は偏在しているし。

 もしかしから、天国でも裁判はやっているかもしれない。

了 

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