南野 尚紀
日本語にも英語にも、ある特定のタイプの人が、ある特定の言葉をよく使うということはある。
例えば、「押忍」は、今では使われないけど、あいさつとして、男性的なニュアンスがある言葉で、柔道や空手をやる人が使うことが多いので、用法、文脈、使用バイアスの範囲が狭いが、使うタイプの人は限定されていることがほとんどだ。
僕は日本人なので、日本語を母国語としない人が、どんな言葉に対して、法則を発見するということがあるのかはわからないけど、英語にはどうやら、そういう言葉がよくある。
「I want you」は、日本のバンドOriginal loveの曲だが、これと同じ言葉が書かれた看板が、フィレンツェのイングリッシュバーにダンディな感じの男の絵とともに、掛かっていたし、ネット上でも、フランツ・カフカのイラストともに、「I want you」と文字が書かれているのを見たことがある。
「I want you」は恋愛の時に、あなたがほしい、好きだ、みたいな意味で使うことが多いので用法が決まっているが、誰が使っても問題はない。
しかし欧米では、どんな人がよく使う言葉かのイメージが固有のものとしてあるらしいのだ。
日本語でも、「男性」と言えばいいのに、敢えて「男の子」という言葉を使う人がいて、哲学者の東浩紀、わたせせいぞうはそれを使うし、「I want you」も不思議だが、もっと不思議なのは、「Good day」である。
「Good day」は、日本語でいうところの「よい1日をお過ごしください」に近い言葉で、挨拶として使う場合が多く、かつ別れの際に使うという用法が決まっている。
「Have a good day」を省略した言葉なので、意味は同じだと思うが、「Good day」の方だけは、使うタイプの人にバイアスがある。
ZARDの坂井泉水には、「GOOD DAY」という曲があるし、Leyonaも歌でこの言葉を使った。
僕もイタリアでインテリジェンスのありそうな女性に、「Good day」と言われたことが数回ある。
言われたのは、すべて、インテリジェンスがありそうで、過去に後悔を抱えている、しかし前向きに生きているだろうということが、容姿や言動から推測できる女性だ。
このタイプは、「Good day」を示し合わせたように使う。
因果関係は不明だが、そういうバイアスが明らかにあるように思えてならない。
例えば、イタリアのジョルジャ・メローニ首相のニックネームに「Pesciarolaペッシャローラ 魚妻」というものがあるが、これは「魚屋の女主人」を意味し、「怒鳴り散らして叱る人」という含みがあるそうだ。
これはおそらく、ナポレオンが皇帝になった当日に、街を歩いている時、「魚屋の女主人にもどやされた始末だ。民衆は啓蒙され過ぎている」と思ったと記録に書いていたことと関係があり、つまり「自由主義者をどやす人」という意味で使われることがある言葉なのかもしれない。
メローニが保守主義者だから、最近、そういう意味が出てきたのかもしれないが、真偽はわからない。
しかし、この言葉には明らかに因果関係があるし、もしかしたら、セイレーンなど、他の神話とも関係があり、かつナポレオンの実体験とも関係があるのかもしれないし、とにかく、理由を説明されれば納得のいくところだ。
しかし、「Good day」はわからない。
神話には、そのような因果関係が明確ではないが、なぜかそういう法則があるという事実が表現されている。
ダンテの作品、ホメロスの作品が、世界文学の最高峰と名高いのは、もっと具体的な因果関係が見られない類推を重ねてこそ成り立つ高度抽象の法則が、正しいシュチュエーションで表現されているが故に、美しい表現が成されていて、その集積だからなのだろう。
坂井泉水の「GOOD DAY」も、偉大な功績を残す人に特有のパターンでこそないが、精神的な美を心に宿している人の抽象的な法則を表現しているので、名作だと感じる。
それを知って以降、僕もよく「Good day」を使っている。
高級な認識がなくても使えるが、なぜか僕の好きなタイプの女性が使うことが多いというこの特徴が好きだ。
スパイ同士が意思疎通をするための秘密のコードネームのようで、使った後、少し気分がよくなるから、精神美の最高峰を行く女性に関心があるのであれば、オススメである。
了