南野 尚紀
イタリアは今日、月曜日だけど、公現祭という祝祭日らしい。
Firenzeは平日だって人で溢れてるし、日本と違って、平日の昼間に出歩いてもぜんぜん変な感じとかないけど、ふつうの平日の昼間より街に活気がある気がした。
ZARDで紺色のシャツを買って、トスカーナステーキを食べて、満足したはずなんだけど、僕も実は不安を抱えている。
最大の不安は結婚できるかどうかだ。
深刻にではなく、楽観的に考えてるけど、僕はスピリチュアルが好きなので、少し感傷的になる時もある。
いつもは少し気取ってエッセイを書いてるけど、今回はYouTubeで発見した80年代風のチルミュージックに合わせて、内面的なことを書こうと思う。
街を歩いていると、イタリアと日本で違うことに多く気がつく。たとえば、イタリア人にはダンディな人が多いとか、ツルッとしてる顔のハンサムでも、自己防衛をする心から来てる厳しさがある感じがして、それが目に出てるなとか、そんなこと感じる。イタリアに来て、僕はかわいい感じの男性として、キャラ作りしようというか、せざるを得ないんだけど、それで結婚できるのかって思ってる。自分って、男性的な面もあるけど、メンタルなところがすごく女性的で、夜なんかにアペロ・スピリッツ飲んでジャズとか聴いてると、妙に自分の心とか、それ以上に人の心が気になって、考え込んでしまうところがある。自分でも歯止めがきかなくなることがあって、瞑想しながらずっとずっと心の奥深くまで行って自分の心と対話しに行ったり。外ではとても言えないような本音、ずっと安心を求めてた、自分の心を受け止めてくれる人、大きくなったり、時にふつうの大きさに戻ったりする自分のエゴまでを抱きしめてくれる人を求めてしまう。大人でもそういうことってあるよね。せっかくなら裸の心で抱き合いたい。自分だっていろいろがんばってきたんだ。まだ結果は出てないけど、これから必ず出すんだ。歯を食いしばってがんばってきたけど、目の疲れがもう限界で、楽観的でいる自分がウソみたいに時々、わけもなく涙が出る。いちばん、自分をわかって、心配ないよって言い聞かせられるのは、変だし、恥ずかしいけど、自分だから、自分で心配ないって、心に声をかけてはみるけど。心の領域を犯すような乱暴な言動にあって悔しかった。それを受け止められなかった。あの人と別れてずっと辛かった。いつかまた会える。
若い頃、こういう内面にずっと潜ってくようなエッセイを書いてる時期があった。
こういうメンタルなの好きだけど、続けても売れないだろうから、そんなには書かない。でも、たまにやってもいいかなとか思ってる。
絶えず自問自答の日々。
大人になったら、答えをくれる人はそういない。
こういうのウケないのかな、東ヨーロッパとかイタリアのエッセイのがウケるんだろうな、僕もそっちの方が好きだし、それでいいけど。
でもスピリチュアルも好き。
了