Firenze shopping log

Firenzeのフリマで買い物、グローバル社会の中の南野、 Firenzeローカルな南野

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南野 尚紀 

 この頃、アッラ・カイッア橋の南にある「Lunatte Cafe」で、昼食を取ることが多くなった。

 理由は、オムレツがおいしいからと、流している音楽がいいからだ。

 トルコ・オムレツとアペロ・スピリッツを注文し、日本から持ってきているアントニオ・タブッキの『レクイエム』を読む。

 男がタデウシュというポーランド人の霊に会いに行くシーンをちょうど読んでいたが、幽霊になったタデウシュは、「超自我がなくて、自由なんだ」ということを話している。

 僕もこの頃、変な夢を見ることが多い。

 有名人と会う夢だ。

 ローラ、Leyona、村上隆にもあった気がする。

 夢の中でだけじゃないけど、魂っていうのは、確かに超自我、いわゆる社会的な束縛から逃れている状態にあるような感じがしていて、この小説を読んだ時になるほどと思った。

 夢の中で有名人と会う時、ネットなどで見るよりもずっと素直な感じがする。

 重い仮面を外して、会いに来てるのかもしれないと思うとうれしい気がするけど、結果という現実の問題を早く解決しないと、とも思ってしまう。

 この店は1980年代前後の音楽をよく流していて、「Cant take my off of you」が流れると、歌い出す男がいて、本当に音楽が好きな国なんだなと感じる。

 イタリアには、しゃべり言葉でも歌うように話している人が本当にいて、イタリア語は本当に音楽の言語なんだなと思う。

 アペロ・スピリッツを飲んだところで、今年からはじめる趣味の香水を買いに行くために、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局まで向かう。

 駅の近くの通りで、フリーマーケットをやっていて、ギターの演奏をしてる男もいた。

 ジプシー・キングの『ボラーレ』や、スティヴィー・ワンダーの曲をやっていたが、スティーヴィー・ワンダーのモノマネがうまいというか、ルイ・アームストロングを意識したモノマネになってて、陽気なアレンジがカッコイイ。

 サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局では、散々迷った挙句、Acquaという名前の香水を買った。

 値段はしたけど、単にわかりやすくいい匂いがするとかじゃなくて、気品のある香りで、初手からレベルの高いのを買っちゃったかなぁとも思う。

 帰りに、気になっていたフリマのペンと、ポシェットを買う。

 本当は鳥の絵が描いてあるバッグがほしかったんだけど、男性が持つには少し派手なのかもなと思い、それもなくなくあきらめる。

 そういえば、本屋にも寄った。

 バルが併設されてるんだけど、パソコンをやってるお客さんも何人もいて、ここなら作業しやすいから、今度来ようかなとかも考える。

 谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』とか、アベナオコっていう、日本ではぜんぜん名前が知られてない作家の本とか、日本の居酒屋を取り上げたイラスト集みたいな本もあって、早くイタリア語をやって、イタリア語で本が読めるようになりたいと思う。

  Firenzeの良さは第3国的なところで、ハイブランドのブティックとかはあるけど、大企業に媚びてるところがまったくない。

 ローマやナポリに比べると少し左派に寄ってるという話も聞くけど、共産主義のかけらもない、美を愛する土地だ。

 なにより、アーティストの地位が高くて、アーティストが誇りを持ってアートをやってる。

 美しいものを作る人の地位が高いのだ。

 最近、村上隆の動画とかを見て、自分のブランディングに対する意識をどう磨いていくかに燃えていたけど、 Firenzeならではのローカルな気風を取り入れるのはいいなぁと思ってる。

 フリマも、ストリートギターの人も、本屋も、ソフィスケイティッドされてる部分もあるけど、土の匂いというか、ストリートの匂いがどこかに感じられるものに対する愛着は、僕は昔からあって、広い世界でどう勝負するかばっかりじゃなくて、 Firenzeで活動する時に、あんまりグローバル化された南野っていうか、グローバリズムを意識してる南野よりも、ローカルな Firenzeが好きな日本人の南野っていう方が、案外いいのかもなぁって思う。

 あんまりどういうふうに売ってくかとか、どんなキャラ付けを意識するかってことばっかりに気をとらわれてると、せっかく Firenzeに来た意味もないし、それこそ超自我に飲み込まれた男の表現になっちゃうんだろうなと。

 もちろん、神話とかは別に意識してるけど、グローバル社会に開けた南野って、ハリボテになっちゃうんじゃないかっていうか、そういう戦いから少し距離を置いた、もっと自分の魂を信じるって意味で、個性的なアートができるんじゃないかって思うようになったのだ。

 もちろん、ありのままの自分が受け入れられるとかはぜんぜん思わないから、理解されるための戦略は練るけど、やりすぎてもオーガニックな味が消えるんだなと。

 あんまり無理せずに、ほどよくグローバルな、 Firenzeが好きな日本人・南野としてやってくのがいいんだなと、長くなったけど思った。

 映画『Il Ciclone』邦題『踊れ! トスカーナ』も、もう一回観ようかな。

 Amor Florence!!

了 

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