南野 尚紀
Firenzeの人をイタリア語で、Fiorentinoフィオレンティーノというらしいことを最近知った。
Firenzeの人々はFirenzeのことをFlorenceフローレンスと呼ぶが、この言葉は「Florentiaフロレンティア」、「繁栄」というラテン語から来ているらしく、フラワーの語源「floraフローラ」とも関係があるようで、Firenzeが「花の都」と呼ばれるのは、このことと関係がある。
先日は、夜、ローマの街を歩いて、古代ローマの神々と泉のイメージがいいなぁって感じたけど、やっぱり僕が住みたいのは、Firenzeの方だ。
古代ローマは数々の英雄を輩出し、文化も栄えたのでカッコイイと思うが、ダンテ、ボッティチェリ、ピノッキオなど、ルネサンス発祥の地になったこの土地に対する愛着はやまない。
僕は古代イタリアよりも、明らかに中世イタリアに関心がある。
疫病の蔓延や戦争により、暗黒期にあったヨーロッパの状況は、今の世界情勢と似ている部分も多いが、暗黒期を切り開くかのように現れたのがダンテだ。
ダンテの『神曲』の新しかったところは多くあるが、よく言われるのは、叙情的な自然の表現と、叙事的な表現の両方がされているところなのだとか。
そもそもダンテより以前は、自然の豊かさを敬愛するような叙情的な表現は、文学にほとんどなかったのだそうだ。
今日はクリスマスイブ。
イタリアに来て、イタリアのパワーをもらったのか、気分が明るく、これからのFirenzeでの生活が楽しみで仕方がない。
それでも、また目の調子が悪くなったので、仕事はおやすみするか考えてるところ。
気分を変えるために、ヴェッキオ橋の南側のホテルから、アルノ川沿いを歩く。
夏、秋に見たアルノ川とは違い、川が氷みたいに空を反射し、透き通っている。
空気が澄んでいるので、遠くの山々までスッキリ見えて、輪郭線が明確だし、緑の深さが夏や秋の頃と違う。
アルノ川沿いを歩きながら、ファッションチェック。
白いシャツや黒いコートが似合う男性がいて、僕の服装は少し遊びが多いので、もっと紳士風の格好にしようかなとか考えた。
RomaはMilanoはもっと派手な感じがするけど、Firenzeの男性のファッションは慎ましい。
もちろん、イタリアには海外の旅行客が多いので、イタリア人とは限らないけど、なんとなくそんな感じがする。
パスクァーレ・グラッソという、イタリア人のジャズギタリストがいて、こういう感じのイケメンにあこがれがあって、髪型も写真を見せてこうしてくださいって、美容室で言ってるんだけど、レオナルド・デカプリオみたいにもっとプリンス感がある人にもあこがれる。
僕から見ると、はるか雲の上のイケメンだけど、理想を心に宿してると、少しはそれに近くなるので、そういうイメージを心に取っておくのは重要だと思う。
ただ2人とも結構、気が強いところがあるので、もっとやさしい感じを目指しているんだけど、なかなかそうなるのも大変だし、自分らしさっていうのは、どう作られていくのか、好きな女性の好みを知ることとも関わりがあるのも事実。
でも今の時代には流されたくない。
土地にはむしろ流されたい。
理想の土地に住めるからだ。
流されるというか、土地の空気や文化を読んで、自分を変えてくということだけど。
今朝、the brilliant greenやTommy Febrary 6の動画を見てて思った。自分らしさっていうのは、自己変革と同じくらい、自分の変えようもない部分がどんなものなのかを知って、それをキレイに磨いてくことなんだろうと。
それは立ち止まって自分を見つめることなので、進んでいるという感じがしない分、自己変革と同じくらい大変なことだ。
自己を見つめるというのは目まぐるしく時代の流れに乗るMilanと比べると、どちらかと言えば、Firenzeらしい部分なんだろう。
Firenzeらしさを昨日、ひとつ発見した。
知り合いから「Firenzeは山の街だから、山の幸の方がおいしい」と聞いてたんだけど、海の幸もおいしいということだ。
ヴェッキオ橋の近くのレストランで、ペスカトーレ・ディ・ズッパという、魚介スープを飲んだんだけど、それはトスカーナのものだということがメニューに書いてあった。
おそらくだけど、Fiorentinoは、海に対するあこがれが強くあって、それが料理に反映されてるっていうことなんじゃないかと感じる。
スープはほんのちょっとだけ酸っぱくて、ドロドロのペスカトーレスープの中に、ムール貝やエビが入っててこれが最高。
下の方まで行くと、海産物の肉を粒にしたものがたくさん入ってて、一回食べる中で、上・中・下巻の長編小説がその中に盛り込まれてるような感じがして、その飽きない味わいがステキだ。
今日のお昼、スーパーでミラノサラミ、トスカーナサラミ、コカコーラゼロを買って、6.7€だったんだけど、近くのジェラード屋でカップのジェラードを買った時は、10€だった。
まだイタリア語がしゃべれないから、少し高くついたのかもしれない。
それでも街の伝統を守るために、街の人を優先するのは仕方ないことだ。
僕も早くイタリア語をしゃべって、立派なFiorentinoの一員になりたい。
そのためにはFirenzeらしさを学ばなくてはいけないので、もっとFirenzeに関することを学んだり、考えたりしようと思う。




了
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