南野 尚紀
『幽遊白書』のおもしろいところは、言葉に表されてないキャラクターの心理だ。
実際には、このキャラはこう思ってたんだろうなというような。
それは、飛影の妹・雪菜の言葉にも現れている。
邪眼の手術を施してもらった魔界整体師・時雨が、手術の代金として受け取った人生の一部が、「妹に会っても、兄と名乗らない」ということだったし、その後、彼を倒すことで名乗る権利は得るが、飛影は雪菜に兄と名乗ってはいない。
魔界に行く寸前に、飛影は雪菜から氷泪石という探してた石の妹が持ってた方を「兄に会ったら渡してほしい」と言われて受け取るが、彼女は兄が炎の妖力で包まれてたらしいことを知ってることを飛影に話す。
マンガにはハッキリ書かれていないが、雪菜はおそらく、飛影が自分の兄であることを気づいて、このことを話しているのだろう。
雪菜は飛影に生き別れた兄だと話しても、飛影が嫌がることをわかってるし、証拠もないので、言わないんじゃないかと感じる。
雷禅も死ぬ寸前に、幽助に今後の国の政治を委ねるために、躯と黄泉のことを話す。
具体的には、躯は霊界と人間界に魔界が干渉しない代わりに、霊界も人間界も魔界に干渉しないという躯の意見と、魔界も霊界も人間界も支配するつもりらしいという黄泉の意見の話をする。
その話をする前に、海外旅行のような感覚で人間が魔界に来るようになる時代が来るだろう、そしたら俺たちは邪魔なんだ、と言っているので、そっちが雷禅の世界の捉え方かと一瞬、思ってしまうんだけど、実際は違うことが死に近づくほどわかる。
こういう言葉に表されてない心理戦が深くて、幽遊白書はおもしろいと思うんだけど、それは冨樫が主張や物語の筋以外の部分も考えてるから、しっかりそうなるのかもなと思った。
それにしても、黄泉はなんで鯱みたいな頭が悪くて、力がない人間を500年もナンバー2にしてて、他を育てたり、鯱を鍛えたりしなかったんだろうとか、雷禅はもう一回、好きだった女性に会いたいと言いつつ、女性に会いに行ってる雰囲気が全然なかったんだろうとか、雷禅が女性と会ったと語ってた700年前は、暗黒期と初期ルネサンスが重なるあたりだけど、関係はあるのかなど、なぞは多いけど、なぞがなぞを呼ぶのが幽遊白書のおもしろいところだから、そういうところや冨樫はこの頃、大変だったのかもなとか冨樫の労を労いながら読むと2倍楽しい。
了
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