南野 尚紀
今日、仕事の合間に、森戸海岸まで散歩に出て、体中に太陽をいっぱいに吸い込んできら、気分は変わってた。
驚くほど陽気になったわけじゃないけど、自然と気持ちがほぐれていくのが自分でもわかる。
こういうのって大切だ。
自然そのものに思考も言葉も溶け込ませて、無我夢中になる感覚。
海風を受けていっぱいに膨らんだ海辺に張ったテントのように、気持ちはやわらかく膨らんでいく。
海辺を歩きながら、Pisaでの生活のことを考えていた。
こんなふうに毎日でなくてもいい、週に2、3回、浜辺に出れる場所に住んで、大好きな奥さんと海辺を散歩する。
過去に不思議な恋があった、元カノの話聞きたくない、いや仁美さんもきっと気にいると思うよ、お金が大好きで、ファミレスでおしゃべりするのがやたら好きな女の子の話、それより、またあの店のボロネーゼパスタ食べにいきたい、ひき肉が甘くてよかった、実はPisaに住む前に考えてたことがあってさ、なに、学者になればあの人に似た人と結婚できるだろうし、ヒッピーみたいにのんびり暮らせば、仁美さんに似た人と結婚できるだろうって、なにそれ、占いみたいなこと、たとえば、ニットと淡いシャツで合わせてパーティ行けば、こんな子と仲良くなれるとか、哲学の話を世間話と混ぜて楽しめるようにすれば、この子は物足りないっていうだろうけど、あの子は真剣になって話聞くだろうとか、女子か、神がかり的な恋だと思ってるんだけどね、僕はそういうの、それと女子のがよかったけどね、本当に言ってんの?、男だから嫌な思いしたんだろうなってこと、数え切れないくらいあるよ、たとえば?、たとえばはないよこういうのに、でもわかる気がする、来世女性に生まれたら、男と結婚することになるなとか、どうでもいいことたまに考えるよ、女子になればわかるよ、男もいいって、男嫌いじゃないの?、言ったっけそんなこと、言ってはないけど。
ねぇ、Soak Up The Sunって曲知ってる? シェリル・クロウの曲。90年代のアメリカのポップスの歌手の歌。ずいぶん前に、葉山にいた時に、海歩きながら、この歌聴いてたら、泣けてきちゃってさ。タイトル思い出しただけでだよ。おかしいよね。太陽を吸い込むってなんかいいなってなって。過去の嫌なこととかぜんぶ忘れちゃってさ、ずっと歌のこと考えてた。人間も太陽の光に生かされてるし、アイディアも、恋も、やさしい生活も太陽が運んでくるのかもなって。神話を信じることと、太陽を信じることは両方できないとダメなんだって。東京は太陽汚いよ。空気も。東京は本当に嫌い。もう忘れたけどね、そんなことも。イタリアは空が青くて、太陽がまぶしいから好き。
別に一夜にして、学者になる夢を捨てたわけじゃない。
でも、ゆとりのある生活は捨てたくない。
偶然、住んだアパートの下には、イタリア食品を売ってるお店があるし、そこで買ったオマールエビソースをかけて作ったパスタは、甘いし、香ばしくておいしかった。
海からたくさん栄養をもらって、ウェブサイトやエッセイのいいアイディアを練ろうと思う。
それにしても、言葉が太陽を吸い込むことってあるんだろうか。
太陽の光によって、やわらかくなって、開かれた言葉は、凝固してた昨日の言葉があったから、今日の言葉になったのだろうか。
未来の言葉を予測しながら、今ある言葉が開かれて、波に乗ってる。
サーフボードを上に向け、Off The Ripを決めるように、言葉を太陽に向けてみる。
太陽の光と砕けた波に溶け込んで、すっ転んで静かに海に浮かぶ。
言葉にもっと太陽を含ませたい。
ウェブサイトは、絶対大きくするつもりだ。
そう誓って、イタリアで結婚できるかも会えるかも全然わからない、仁美さんに似た人と、医者のCaterinaを天秤にかけて、しあわせな気分に浸ってる秋の午後だった。
了
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