南野 尚紀
1.イントロデュース
シンボルスカが『瞬間』という詩集において、投げかけた問いや答えは古今東西を見渡しても偉大な問いであるし、詩というのは本来、実在しないとされがちな、イデア界への問いかけや探究の結晶であるべきだ、ということはシンボルスカの詩を読むとよくわかる。
イデア界への問いかけや探究は、果たして意味があるのかと疑問に思う人もいるだろう。
イデア界というのは、生前に善を働き、美を追求した人間たちが天上から、地上を見て伝令を送っているような世界で、地上界と天上界の相互作用の結果であるとも僕は思ってる。
しかし最近、僕が疑問に思っているのは、この天上界は生きながらにして、ある程度、足を踏み入れることができるものなんじゃないかということだ。
つまり本人にその明確な意識がなくても、天上界から地上界に伝令をできるかのように、地上に生きてるはずの一個人の観念が、現実世界に影響を与えることが大いにあるということで、地上界に生きながらすでに天上界に足を踏み入れ、地上に伝令を送ることを本来は、仕事と呼ぶのだろう。
そういう意味で、アーティストというのは高貴な仕事だ。
なぜなら、通常の人間が踏み入れることができないイデア界に、足を踏み入れやすい仕事であり、死ぬ前から現実を見ながら、地上に伝令を送れるのだから。
シンボルスカはそういう意味で、本当の仕事をやった天才だった。
そして、なぜ自分がポーランドの作家として存在してるのか、なぜ自分が詩人を選んだのかという、存在論的な探究を決して怠らない哲学者でもある。
そんな彼女のイデア界から与えられた才能がどんなものなのかを、2篇の詩から読み解いてみよう。
2.本論
「プラトン、あるいはどうして」は、古代ギリシャの哲学者・プラトンについての探究の詩であり、なぜ地上界が存在するのかという問いに対する、シンボルスカの視点からの答えが詩の形式で表現されている傑作である。
この詩は、『旧約聖書』の「創世記」のギリシャバージョンのようにも読め、言ってみれば、なぜ人間は存在するのかという根源的な問いのもう1つのストーリーのようだ。
そういった壮大なパースペクティブに負けることなく、詩は一定の喜劇性を抱えたよろこばしい回答を提示している。
僕が読むに『旧約聖書』は、本来、ある必要もない地上界が存在した理由を、蛇のそそのかしによって生じた「恥」と「秘密」をアダムとイヴが抱えたからだと考えていて、もちろん、世の中にはなぜそれを秘密としなくてはいけないのかわからない秘密というのがよくあり、それを理由にしてるのが、いかにも古代イスラエルらしい世界観だなと思うんだけど、シンボルスカの回答は別にあった(ちなみに、アメリカでユダヤ教が強い力を持ってる理由とこの問題は、根本原理的に関係があると僕は思ってる)。
シンボルスカが出した回答は、「闇に由来する満足感を得たい」、「永遠に見えないことによる刺激」だと答えている(ギリシャだけでなく、南ヨーロッパ、特にイタリアにもそれを感じる)。
もちろん、これはポーランド詩人としてのシンボルスカの回答だし、実際、シンボルスカには女性詩人としての自認が強くあったのだろう、高貴でありながら、プラトンが抱えていた可能性がある「誘惑」への意識が強くある(『旧約聖書』もそうだが、天上界のみで誘惑することを、なぜ考えなかったのかは不明だ)。
「物質という名の悪友」という言葉が出てくるが、これは結果として、プラトンがダンテほど観念論じゃないということの厳しい糾弾の意味が含まれているだろう。
結局、プラトンの観念へのこだわりは、物質への憧憬から大部分が来てるという視点をやさしく見守るとともに、厳しく看破している。
だからこそ、「悪」という言葉や、「刺激」という高尚ではまったくない言葉でプラトンを論じているんだろう。
作中で語り手は、「永遠への見通しがない」ものが役に立たないことを言及しているが、プラトンは素晴らしい、しかし、永遠性というのもを深く考慮できなかったことが、僕はシンボルスカやダンテよりもプラトンの劣っているところだと言いたいように読めてならない。
「ちゃんと歩けない叡智は?」、「風の荒波に引きちぎられた調和は?」、「醜悪なはらわたを内に秘めた美は」というフレーズもあるが、結果、永遠への見通しもないのに、現実を超越していく美すらも追い求められない、つまりそれを完璧に近い形で描いたダンテ、シンボルスカに比べると、精神の崇高さや、美学に対する探究がないと言いたいのだろう。
古い父性への懐疑は、フェミニズムや伝統の女性らしさを求める保守女性・男性もよくやるが、それにとどまらない、プラトンが『饗宴』で批判的に書いた、異性にこだわる男女の批判のカウンターを独自の視点で行っている。
つまり、ダンテと比べた時のプラトンの限界はそこだし、やはり神話法則は至上だということが言いたいのだろう。
最後に天上界のことを書きつつ、「ここにはものすごい詩人たちもいるし 彫像の足もとからはくずが風に吹き散らされ 天の高みの大いなる静けさからごみが落ちてくる……」と書いている。
彫像はおそらく、ギリシャ神話のピュグマリオンを意識してるのだろう。
「ピュグマリオン」は理想の女性を彫刻していたら、ある日、理想の女性に出会ったという話であるが、プラトンのいる場所は、理想の男女の恋愛を叶えた天上界に近い世界から、ごみが降ってくる高さだと言いたいと考えられる。
「思い出すこと」はパーティをしてると若い女性が現れたので、急ぎ夫に電話する女性の話だが、これは他の詩に天国にいる夫と電話をする詩があることから焦って天国にいる夫に若い女性が来た、当分来ないほうがいいわよ、と電話をする作品とも捉えられる。
実際に、精神的営為というのは、いかに情熱が至上とされるかが描かれている作品で、このレベルは古今東西を探してもほとんどないだろう。
ZARDの坂井泉水が、「天使のような笑顔で」で書いた歌詞「勢い余った情熱など だれもほめやしない」にもよく現れてるように、恋の情熱は地上界では意味がないとされることが多いが、ではなぜ一見、恋に関係がないかのように見える恋の情熱というのが世界には存在するのだろうという問いに答えている。
つまり、天上界に近い人間だけの特権的な価値が恋の情熱で、世界の原理の至上であるということなのだろうし、運命の人と結婚してはいけない理由はここにある。
そういう意味も含め考えると、シンボルスカは人類史上、ダンテと肩を並べて偉大な人間なのだろう。
恋の情熱がなぜ必要なのか、いかに情熱的で、キレイであることが必要かということを最高なレベルの美学的正しさで描くことができたのだから。
3.参考文献
ヴィスワヴァ・シンボルスカ 『瞬間』 未知谷
了
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