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評論 多和田葉子 「ペルソナ」--伝統と個性、時代に忘れられた人間の感情の問題--

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南野 尚紀 

 近年、ノーベル文学賞候補作家として、日本人作家で村上春樹とともに名前が挙げられる多和田葉子ですが、彼女が短編小説「ペルソナ」でテーマとして取り上げた問題について、イタリアに来てから、時々、考えることがあります。

「ペルソナ」は芥川賞を受賞した「犬婿入り」という小説が収録されている文庫本と同時に収録されている作品で、僕個人は「ペルソナ」の方が好きです。

ずっと前に読んだ時にも、「ペルソナ」を読んでいい作品だなっていうことは思ったんですが、イタリアに来てから、それがより実感をともなってわかるようになりました。

特に、日本で生まれ育った日本人が、ヨーロッパで生活するっていうのがどういうことか、ヨーロッパで文学や文化に携わるっていうことがどういうことかっていう点に、深く実感が湧きました。

 文学が好きな方はもちろん、海外、特に作品の舞台にもなっているドイツに旅行をしたいと思っている方にも、「ペルソナ」はオススメです。

1.作者紹介

多和田葉子は、1960年に東京都中野区に生まれます。父親は神保町の洋書店を経営する人で、国立で育ち、早稲田大学でロシア文学を学び、西ドイツ・ハンブルクの書籍取次会社に入社します。

 2006年よりベルリンに住み、ドイツの永住権を獲得。ハンブルク大学院博士課程でドイツ文学を取得もしました。

 日本語とドイツ語で作品を書き、いろんな国の言語に作品が翻訳されています。

 全米図書賞を受賞のほか、数々の名誉ある賞を受賞し、村上春樹に次いで、ノーベル文学賞の有力候補とされることも。

2.あらすじ

 主人公の道子は、弟の和男とともに、ドイツのハンブルクで生活をしつつ、大学で中世文学を研究しています。

 精神病院で看護師をするソウル出身のセオンリョン、担当医のレナーテ、図書館で働いているカタリーナなど、登場人物は複数、出てきます。

 道子は普段から、和男と東アジア人という言葉を頻繁に使うことや、ドイツ人に「日本人です」といった時に、「トヨタね」って言われたり、精神病院をモチーフにした映画を見たときに、優生思想についての表現が字幕で出た後、精神病院が火事になる映画を見たりと、いろんなことに不満を持ち、次第に不安になっていき、途中から、実際にあったのが書かれていないセオンリョンの事件のことを考えだして、最後、スペイン製の能面を被って、街を歩き、自分が誰にも日本人だとわからない状態で歩いた日に、日本人らしくみえたと書かれてます。

3.本論

 人と人との関係性を描く作品というのは、世の中たくさんあるけど、多和田葉子の「ペルソナ」は、関係性というテーマに含まれている核心的な価値について語っているように僕は読めます。

 グローバルな社会が本格的に進んだ時に発生する問題のひとつ、国の伝統から派生するステレオタイプのイメージ、移住先の国に根付いているその国のイメージ、例えば、ドイツ人が抱いている日本人のイメージとは、大まかにどんなものなのかという問題は、「ペルソナ」と関係がありますよね。

わかりやすく言えば、イタリアのイングリッシュパーティに参加した時には、寿司とか天ぷらとかマンガの話はよく出てくきますし、空手とか柔道の話もよく出てきますが、日本の有名じゃないカルチャーはそこまで話題にならないということと繋がっています。

イタリア人が経営しているジャパニーズフードレストランとか、イタリアの本屋においてある日本人作家の本も、それと関係しているし、イタリアで日本人が経営してるレストランを見ると、それとも関係しているんでしょう。

僕はイタリアが好きな日本人との関わり合いとか、日本文化のいい部分をしっかり受け止めてくれるイタリアに住む人との関わり合いは、本当にありがたいと思っているし、日本の文化ってイタリアでもだいぶ影響力があるんだなってことは、かなり驚きました。

 余談にはなりますが、パーティにいたフィレンツェにいるスペイン人の女性に、ギタリスト・トマティートの話をしたり、アメリカ人やイタリア人に、ポップスの歌手・ラウラ・パウジーニの話をしたりして、盛り上がったことがあったけど、トマティーともラウラ・パウジーニも日本ではほとんど知られていないという事実があります。

話としては、海外ではそこまで幅広く知られていないけど、その国の人がものすごく好きな文化というのはあって、それは海外に住む人が、どんな日本人として見られたいかとか、どんな国の文化を理解してほしいかと繋がってきますし、大きな視野で言えば、国と国との文化交流の問題にも繋がってくるんでしょう。

和男は、日本人でありながら、東アジアの人々を直接的な表現で非難する言葉をよく口にしているにもかかわらず、不思議なのが、姉の毒のある言葉を受けると、自分の心がどんどん優しくなってくるような感情を抱くし、ドイツでは姉ではなく、ミチコと名前で呼ぶから、心の中でもミチコと呼ぶようになるし、「中世文学をやっていると首が太くなるのかな」と道子がいった後、和男は「現代文学を研究すると、どこが太くなるのかな」っていうジョークもいうのですが、道子が「グリム童話」の本で、姉が王族の人と結婚し、そのタイミングで、姉に動物にさせられた弟が、最後に人間に戻るという話を読んで、怖くなったすぐ後に、和男は日本に帰国します。

中世文学のことも考えると、中世ヨーロッパの文化に影響を与えた、ダンテやボッティチェリやピノキオの話を思い出さずにはいられないですね。

 少しずつ現実の描写や道子の思考として表現されていることに、不安の色が滲み出てくるのは、明らかに、精神病院をモチーフにした映画を見たことがきっかけになっています。

 優生思想の問題というのは難しいですよね。

 戦争や人種差別の問題にも深く関わっているからこそ、答えをはっきり出しづらいのでしょう。

 その問題はここでは深く書かないですが、「ペルソナ」を読んで思うのは、よく言われる人種・国籍・信仰・地域・性別・年齢などのみで、人を判断すべきではないということで、これはヴェネツィア市長にもなったマッシモ・カッチャーリが『抑止する力』で、このことについて深く書いています。

 そもそも優生思想っていう言葉自体は、あまり文化的でないと僕は思いますし、古代ギリシャ悲劇『エレクトラ』が提起した最高の問題、人の貴賤は魂で判断すべきであるということは重要で、仮に優生思想という言葉を使わざるを得ない現実があるにしても、その定義や価値基準は重要なんでしょう。

「ペルソナ」で表現されているのは、ポストモダンカルチャー、1970年代あたりから台頭した「近代より後」を指す言葉の限界とその先についてだと僕は感じています。

 道子が能面を被って歩くシーンは、自分がドイツ人からどう見られているかという意識と関係がありますし、もっと言えば、ポストモダンカルチャーの要素のひとつ、表層に浮かんでいる記号の交換で遊ぶというのがあって、例え話、比喩を得意とする作家が1970年代以降に多いのは、この潮流と関係があるでしょう。

 村上春樹ポストモダン文学の代表格の一人とされています。彼のデビュー作『風の歌を聴け』の評論を書いたので、ご興味ある方はぜひ。

https://kotonoha-writingschool.com/2024/05/22/critisism9

道子が能面を被って歩くのは、ドイツに住んだとき、日本人っていう言葉にまとわりつくいろんな問題から逃避したくなったからなのかもしれません。

アジアンヘイトはたまにニュースになっていますが、僕は見たことないですし、イタリアでパスポートを落としても、2回も届けてくれたし、知り合ったばっかりの人にお酒を数回タダで飲ませてもらったこともあるし、イングリッシュパーティーで「日本人です」っていって、嫌な顔をされたこともあったし、それを言った途端、遠くに行く人は数人いましたが、笑顔でジョークとか言ってると、1時間後には、たいていそんなことなかったみたいになってるんですよね。

ウフィツィ美術館には、髪の毛がヘビになっているメデューサっていうギリシャ神話の女性の悪魔がいて、それを昔、ヨーロッパで魔除けのために玄関に飾っておいたっていう話を聞いたことがあります。

道子にとって能面は、記号の中に住む魔物、もっといえば、本質的な話題なしに繰り返される「日本」という言葉の記号性につきまとう魔物を寄せつけないための道具だったのでしょう。

もちろん、「日本人ってこうだよね」って言ってくれるのはありがたいですし、僕は日本も大好きだけど、日本よりもイタリアが好きで、イタリアに来てるので、日本人の悪い部分を否定してくれるのは、受け入れていますし、それが大人の会話だと思っていますが、石原慎太郎がずっと主張し続けたように、日本のどの部分を受け入れてほしいのか、どういう考え方を伝えたいのかを海外に理解してもらうには、ハッキリNOと言える勇気が必要なんでしょうね。

 ドイツの軍人であり、政治家である、アドルフ・ヒトラーは、記号的なものの見方が好きだったと聞いたことがあります。

 人間が本当に残忍になるためには、人間を記号で見て、本質、情熱、情念は見ないという価値観が必要です。

僕は本質、情熱、情念などの人の内面をよく考えるようにするので、ヒトラーの気持ちは深くはわからないのですが、人間の内面のことや本質、哲学や美学について考えるのが大人じゃないとか、優生思想を考える上で、重要ではないというのは、どうなのかなとは思います。

 精神病を含む人の精神は、文化・人間関係・考え方と関わりがあると聞いたことがありますし、「健全な結婚と仕事は、人の精神をよりよく保つ」ということをオーストリアの精神分析学の祖・フロイトは言っていましたし、もっと言えば、最良であり、美しい仕事や結婚は、正しく美しい人間の内面、魂と関係があるんでしょう。

 魔除けとは違いますが、僕はストレスが溜まったり、なんとなくいいことが続かなかったりするときは、ZARD・坂井泉水の歌をよく聴きます。

 彼女の歌を聴いたり、イタリアにいる人々と話したりしていると、自分のストレスなんかちっぽけだったなと思うことはよくあるなぁと。

「ペルソナ」には、道子が、ドイツのバルでサッカー参戦してみんなと騒いだりとか、パーティに出てジョークを言ったりとか、コメディー映画を見たりとか、ファッション雑誌を読んで、ブランドショップで友達と服を買って楽しむとか、ステキな男性と恋に落ちたりするとか、そんなシーンは描かれてないんですよね。

僕もパーティでボッティチェリとかピカソの話で盛り上がると、周りから驚かれることがあるんですが、それがきっかけでいい人と知り合えることがあって、それが僕のイタリアでの生活のうれしいことのひとつだったりもします。

 「ペルソナ」は、悲劇でよく使われる仮面のことですが、イタリア語のPersonaには、個人、人、誰、人格、古い使い方では生命という意味もあります。

 イタリア語では、個人、人、誰、人格、生命ですが、英語だと仮面という意味が強調されるのは不思議ですよね。

 グローバル社会、社会を惑星規模で捉えるものの見方があるからこそ、人の心や伝統文化のあり方について、理解することは大切だと思いますし、「ペルソナ」はそのことを理解するためのひとつの助けになるかもしれないです。

4.参考文献

多和田葉子 『犬婿入り』 講談社文庫

了 

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