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評論 村上春樹 「図書館奇譚」--村上春樹の悲劇の感覚--

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南野 尚紀 

1. イントロデュース

 「図書館奇譚」はタイトルの通り、不思議な図書館を舞台にした話だけど、芸術的な比喩や古典への親しみがないと深みがわからない作品かもしれない。

 もちろん、それらに親しみがないけど、カンがいい人はわかる部分もある。

 しかしそれは奥行きの部分ではなく、表面の部分だ。

 このエッセイは、村上春樹に興味はあるけど芸術的な比喩や古典に親しみがない人、古典も好きで、古典と「図書館奇譚」のつながりの僕の解釈を読みたい人のために書いた。

 丁寧に解説したつもりなので、文学入門者にもわかるとは思うけど、もしわかりづらかったら、それは申し訳ないことだと思う。

 最初はだれもが、文学の入門者だからだ。

 「図書館奇譚」の主人公も、悲劇や喜劇の入門者だったのだろうと、僕は推測するけど。

2.作者紹介

 一九四九年京都生まれ、兵庫出身。早稲田大学卒業後、東京の国立でジャズ喫茶「ピーターキャット」を経営する。一九七九年、初めて書いた中編小説『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞。一九八二年、『羊をめぐる冒険』で野間新人文学賞を受賞。その後も数々の賞を受賞し、二〇〇六年にはフランツ・カフカ賞も受賞。

 代表作に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、『海辺のカフカ』、『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』、『騎士団長殺し』がある。

 海外移住や旅行経験も豊富で、英語が堪能。翻訳者としても有名で、多くのアメリカ文学の小説を日本語に翻訳している。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を敢えて、英語名の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と翻訳し、タイトルをつけたことは、文学の世界では有名。

 初めて書いた小説、『風の歌を聴け』は一度、新しい文体や雰囲気を発見するために、英語で書いた文章を日本語に訳して、賞に投稿した。

3.あらすじ

 主人公の僕は図書館で、「トルコの税金の問題」がふと気になり、図書館で本を借りようとする。そこで柳の葉っぱで言うことを聞かない人を叩く図書館司書らしいおじいさんに会うが、彼に奥の牢獄のようなところに入って、本の読書をするように言われ、僕は牢獄へ。

 最終的には、羊男と「私はわたし」と答える美少女とそこを脱出し、ずっと気になっていた、僕の帰りが遅いと気が狂ってしまう母親が死んで終わる。

4.本論

 本作は、はじまりの部分に、「時間だって永久運動ではない。来週のない今週だってあるのだ。先週のない今週だってあったのだ。それでは今週のない来週は?」という主人公の哲学的な自問自答があるが、確かに今週のない来週は存在しない。

 つまり未来も、過去も、現在を基軸に作られているという事実で、過去と未来は推測ができるだけで、目の前にはないし、過去の累積で現在ができてるというのも、歴史の本を書き換えたり、認識のすれ違いで過去の意味が変わったりすることがあるから、不確かな考え方だ。

 つまり世の中は、現在を基軸にして成り立っているのだ。

 逆に言えば、時間の永久運動があるとすれば、現在にあるということなんだろう。もちろん、今週は未来や過去を含んでいるが、現在の僕は比喩として捉えている。

 村上春樹はこのように、抽象的なことから、具体的なことに帰結する演繹法の小説が多い。

 この話は、羊男、「私はわたし」と答えている女性が登場するが、おそらく、『旧約聖書』の「創世記」、「詩篇」の裏話のような内容として書かれている可能性がある。

 理由を求めれば、パズルのような言葉の組み合わせの話になるけど、羊男と羊飼いだったダヴィデ王や、女性と主人公との関係が、リンクしながら話が進められている特性がある身体。

 「トルコの税収」に関する本を主人公に読ませて、脳味噌を吸い取ってしまおうとする凶暴な図書館のおじいさんも、ダヴィデが倒した悪党・ゴリアテを想起させるし、トルコの話も出てくるためイメージも中東っぽい。

 結果として、主人公が図書館でこんな酷い目に遭うのは、帰ってこないと気が変になる母親から自立できなかったからなんじゃないかと思える。

 図書館での出来事との因果関係は、物語の流れ上ないが、主人公の母親は死ぬ。

 このスヌーピーの本のようなテイストの不条理な世界は、因果関係の見えづらい有機性が薄れた世界を表現してるようにも思える。

 僕が好きな表現は2つあって、その1つは図書館の地下の奥に連れ去られる時に出てくる、「僕の革靴のコツコツという音だけが闇の中に響いていた。靴音がなければ自分の足かどうかさえわからないくらいだ」という言葉だ。

 闇に溶けて、足の実体が革靴の音でしかわからないというのは、自分の足があるのを確かめる方法がそれしかないということだが、都市の空虚さを表しているように思える。

 革靴もビジネスシューズの代表としての比喩だろうし、地面を踏んで歩いたり、身体の大部分を支えてたりしてる足の存在があるか、クリアじゃないのは不安だろう。

 もう1つは、「私はわたし」と答える美少女の話だが、これは村上春樹の理想の女性像なんだろうと思う。

 村上春樹がギリシャ文学の影響を受けているのは、『風の歌を聴け』の冒頭を読めばわかるが、古代ギリシャ悲劇の「エレクトラ」はエレクトラというお姫さまが弟のオレステスと共謀して、アジア人奴隷女性を側近にしてる母親クリュタイメストラを殺害する話である。

 自我の確立は、悲劇である家族からの精神的な離別から成立すると言われているし、「私はわたし」と話すこの美少女は、まるで夢の中にいるような存在感で現れるが、このことと、エレクトラは関わっていると僕は思うので、美少女はエレクトラや『旧約聖書』のエヴァと関わりがあるかもしれないと僕には思えてならない。

 もちろんそれは、村上春樹のキャラクター造形や、村上春樹の理想の女性像の話だ。

 僕の推測だと、悲劇の先に喜劇がある。

 つまり、家族との離別の後に、結婚があり、それは理想の悲劇のヒロインではない、2番目に結婚したい女性との結婚なのだろう。

 これはダンテも『La Divina Commedia 神曲』で表現してる。

 「divina」と「神聖な」という意味のイタリア語であるが、「divorce」が英語で「離婚」の意味だったり、「divine」が「神聖な」、とか、「判断する」とか、「予言する」という意味があったりするので、響きだけでなく、意味のつながりもあるだろう。

 しかし喜劇が結婚なのは、天国でダンテがベアトリーチェに冷たくされることと関係があり、別れであり、愛の表現でもあり、ダンテはその含みはやはり、2番目に好きな女性と結婚すべきということだと僕は判断している。

 魂の結婚で徳の子を生み、身体の結婚で実際の子供を産むとは、プラトンの言葉だが、ダンテは、『神曲 天国編』にも名言を登場させるくらいプラトンが大好きだった。

 そういう意味で、村上春樹の悲劇・喜劇観はダンテと微妙にすれ違っているが、似てる部分もある。

 それはダンテが『De Monarchia  帝政論』で「エレクトラはローマの祖だ」と書いているように、彼はベアトリーチェにややエレクトラを重ねてみている節があると僕は思う。

 今回は、「図書館奇譚」と古典とのつながりになったけど、古典に馴染みがない人には退屈だったかもしれない。

 でも古典の名作も、きっと人の心に明るい灯火の灯すものになるので、ぜひ機会があれば、読んでみてほしい。

 5.参考文献

 村上春樹 『カンガルー日和』 講談社文庫

了 

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