南野 尚紀
イタリアに住むための下見に行く少し前、湘南のマンスリーアパートに住んで、夜、江ノ島の橋を歩いて往復したことがあった。
運動のために時々、Dua Lipaの曲をかけながら、ランニングしたことがあったけど、僕がまた湘南に一時的に戻ってきて、同じマンスリーアパートに住んで、今夜、同じことをするかもしれないと思うとなんとなくうれしい。
小説を書かなくなって3年。
その代わり、エッセイは書いてるけど、小説を書かなくなった理由は明確にある。芸術の世界でよく言われるモデル問題だ。
僕は恋愛ものの小説を書くことがよくあって、それを合評会に出すと、「これは実際にあったことなの?」って聞かれたから、「似たようなことはほんの少しだけあって、それを混ぜてフィクションにしてます」って素直に答えると、「妄想デートの小説ね」って男に言われて、そのあと、そういう人がつけ狙うように僕にしつこくなにかを聞いてくることはさすがにないんだけど、場の空気や書いた気分が台無しになるから、小説は書かなくなった。
ギリシャ神話に出てくるピュグマリオンは、理想の女性の彫刻ばっかり掘ってたらそれに似た女性が現れたっていうことを起こした神話上の人物として有名だけど、実際にデートの想像や理想の女性に思いを巡らせないといい出会いはない。
それどころか、ある日、僕の目の前に、絵に描いたようにいい女性が現れることすらあるのに、「妄想デートね」はないなぁって思うし、僕がそれを信じたり、ロマンを描いたりするのはいいことだと思うから、それをそんなふうに言われるのは本気で心外だった。
それでも時々、ふとした瞬間に、小説を書きたくなる。
これは仁美さんとこんなデートしたいなぁっていうロマン。
例えば、深夜3時の江ノ島の橋の上。
現に夜中に、20代くらいの夫婦が、江ノ島の橋を島に向かって歩いてるのを見ることはたまにあった。
僕は昔、好きだった仁美さんという女性と歩いている。
理由は外の物音がうるさくて眠れないからだ。
「尚紀さん、この前、ペルシャネコのゴールデンチンチラ飼いたいって、言ってったよね」
「言ってたけど」
「ネコにりこなんて名前つけるなんて、実質浮気」
「浮気?」
「りこって、前好きだった、格闘技好きなキレイな女の子のことだよね。Tommy Hilfigerのバッグ持ってるって言ってた」
「覚えてたかぁ」
「覚えてるよそりゃ。尚紀さんは、いちばん心を病みやすいタイプの人ってどんな人か知ってる?」
「運命の女性の次に好きな女性と結婚できない人?」
「もう文学者ちゃんだなぁ」
「答えは?」
「過去の女性に未練がある男と、1人の女性のありのままを見られない男」
「ありのまま、見てるけどなぁ」
「話聞いてほしいっていうのは、自分のこと見たい、女性からの自分の評価がほしい、つまり自分を見たいなのわかんないの? 今日も部屋でウイスキー飲んでクダ巻いて、なんかダンテがどうとか、ジャズがどうとかしゃべってたでしょ?」
「そうだね」
「ああいうのを自分しか見てないっていうの。しかもいっつも、私のこと有名人のだれに似てるとか、作家のだれに似てるとか、そんなこと言うでしょ。今日なんか、仁美さんのこと、ZARDの坂井泉水にも少し似てる部分があるから好きなのかなぁとか言ってて、バカかっていうの」
「仁美さんも飲み過ぎだよ」
「いいの」
江ノ島に辿り着いた2人は、シャッター街になった江ノ島を見て帰るんだけど、これは仁美さんという結婚寸前までいった女性をモデルに、もっと裸の心で話してほしかったなぁって思いと、どうしても、僕が移り気で、仁美さんみたいな女性以外を見ちゃうのが実はほんとに恋愛がうまくいかない原因だという自戒の念を込めて書いた。
初恋の人をずっと好きは、恋愛のレベルが上がってない証拠だと人はいうけど、ダンテもベアトリーチェ、僕も坂井泉水、初恋からレベルが上がってないのか。
そんなことはない。
運命の人じゃない最愛の女性と結婚するのが、最高のロマンだから、ダンテもベアトリーチェと作品でも一応、結婚しなかった。
仁美さんが自信満々にサングラスを掛ける時の表情。悪女・サロメの話を自慢げにする時の目の輝き。
ジャズクラブに行った時や、ZARDの次に好きな有名人の名前を電車に偶然出てた龍角散のど飴の女性って言った時の不愉快そうな顔、六本木・オービカの水牛モッツァレラの味の深みがわからなくて、「大人ちゃんだね」って笑いながら誤魔化した時の大人の顔の仁美さん、ぜんぶが好きで、ほんとに同じタイプの女性をずっとフィレンツェかピサで待ち続けようと思ってる。
ユダヤ・キリスト教は一神教だけど、一神教っていうのは、1 Loveであって、愛に偽りがある時、人生はおかしな方向に向かう。
電車の帰り際にも、手を添えて、「仁美さんのこと好きだって、少なくとも僕は思ってるんで、覚えておいてくださいね」ってカッコつけて、言ったけど、仁美さん覚えてるかなぁ。
南欧美学の大きな要素は、男性が大胆な恋の振る舞いをして外しても、呆れたって顔で男性をやさしく見られるか、ノリノリでサンバでも踊ってるみたいなノリになるか、ロウソクに火が灯ったようにふたりだけの世界になるかがあって、それでもおいしいパスタ食べながら、今後の生活の話したりとか、今思うと、仁美さんとのデートはほとんど南欧美学の中核だった気がする。
だいぶ筆が走ってしまったけど、僕はつまらない恋の病に落ちないように、仁美さんに似た人にモテるようにちゃんと自分を律して、服もおしゃれにすることにした。
最愛の人と結婚もできないで、南欧美学を語るのもずいぶん恥ずかしい気がするから。
了
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