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村上春樹の日本語の美しさ――90年代の脱サラ作家風に――

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南野 尚紀 

 村上春樹が『職業としての小説家』っていうエッセイで、確か、「日本語の美しさに対する追求がない」って批判されたことがあって、それに対して、「僕だって日本語の美しさを追求してる」って言ってたのを覚えてるけど、村上春樹は日本語の美しさを追求してると僕は思う。
 この頃、日本語で書いたエッセイを翻訳するのではなく、日本語で書いたエッセイをベースに似たような内容の英語のエッセイを書くっていうのをやってて、それをやると日本語の中にある美しさや独特のリズムがわかってくる。
 前に僕は、TUBEの前田亘輝の歌詞や、石原慎太郎のエッセイの文体をマネして、エッセイを書いたことがあって、それがべらんめい調を応用したものらしいことが、あとになってわかった。
 その文体そのものは気に入ってたんだけど、イタリアでは一部の人以外からは、べらんめい調のノリっていうのは、女性蔑視、特に、イタリアの伝統的な女性らしい美しさを追求することをよしとするキレイな女性への否定に感じられるみたいで、それがイヤになって、今はその文体を使ってない。
 もともと僕は、イタリアの作家・アントニオ・タブッキの日本語訳の文体が気に入ってて、それをマネした文体で書いてたんだけど、「村上春樹のパクリはウケない」とか、「こんな言葉使う人間は、現実にいない」って言われたから、日本語の美しさをルーツに求め、べらんめい調を採用した。
 何日か前、アントニオ・タブッキの小説を英語で読んだら、日本語版とだいぶ違う表現が使われてたので、もしかしたら、原文はヨーロッパでも多く用いられてる英語に近いのかもしんないし、実際はわかんないってことを思った。
 村上春樹の作品の文体や内容に関して言えることは、戦後のアメリカ文化の流入の最中、その前まであったとされる日本人っぽい日本語ではなく、アメリカ文化の影響を強く受けた日本語が話される時代が来たから、その影響で独自の作風になったのではないかってことで、実際にそれに似たようなことを言う人はいる。
 彼自身、「あなたが本当の芸術を求めるなら、ギリシャ人の作品を読んだ方がいい」って、デビュー作『風の歌を聴け』で書いてるくらいで、ギリシャ悲劇の影響を受けていることは明らかだけど、それは内容のことで、おそらく村上春樹は、ギリシャ語までは堪能じゃないから、文体はアメリカ文学やジャズの影響を受けているんだろう。
 村上春樹の小説のほどんどは、殺人事件が起こることはないが、自殺、家族の死、悲恋に関係のある悲劇を核にしたものは多くて、それが好きな人だって言う人もいるし、嫌いって言う人もいる。
 英語に比べて、だらんと伸びているようにセンテンスが長く、かといって饒舌体の文学作品もあまりなく、あいまいな表現、意味がない表現がたくさんあって、それをうまく使わないと、文章のリズムが心地よくならないところに日本語の特徴はあるんだろうなぁって、最近思う。
 この頃、フィレンツェに住むためにまた勉強しはじめたイタリア語は、ラテン語ルーツだし、いろんなヨーロッパの言葉と繋がりが深いから、やっていて哲学的な意味で楽しい。
 たとえば、イタリアの詩人・ダンテの名前は、英語の「endure 耐える」と同じルーツらしく、ラテン語に「endure」に似た言葉があって、ダンテの運命を耐えることと関係があると神父さんがとらえて、ダンテと名付けたらしい。
 「Looks 見た目」もラテン語では、「lux  ルクス 光」を意味するし、ヨーロッパの言葉のルーツを探ると、僕はうれしくてテンションが上がっちゃうくらいしあわせだ。
 村上春樹の長編小説にノビノビ楽しめるものが多いのは、だらんと伸びているような、悲劇をあいまいにしながらも、微妙な、それでいて、自然消滅的な決着はつけるということと関係があるんだろう。
 日本語に関しては、アメリカ文学の翻訳調のような文体をはじめて書いたのが、大江健三郎だって言われているし、村上春樹文学のルーツはそこにありそうだけど、太宰治はフランス語ができて、文体そのものも、当時からしてみれば、かなりヨーロッパ風だったと思うし、同じ話を繰り返すという意味でも、村上春樹の作品は太宰治の作品に似てる。
 間延びした感じ、記号の遊びは、ポストモダン文学の要素でもあるが、太宰治と彼の最大の違いは、太宰治にはこのふたつの特徴がないというところにあるだろう。
 どうも話が右に行ったり、左に行ったりする。
 それでももっと寄り道すると、日本では今でも右翼、左翼っていう言葉が使われているけど、そもそもイタリアと使い方が違う。
 左翼=社会主義は、日本語のイメージとしてあるのに対し、イタリアはコンサバかリベラルかの差があるくらいだ。
 イタリアにも社会主義者っていると思うけど、相手にされてないっぽいし、イタリアで社会主義国の名前を出すと、不気味な顔をされることがよくある。
 っていうのも、僕は中国語が話せるから、中国の話をすることがあって、中国っていう名前を出しただけでも、イタリアではたいてい、ゾッとしたような表情をされる。
 「日本人なんだ」って、イングリッシュパーティで言うと、女性らしい美に肯定的なタイプの女性から鼻で笑われることがあるけど、冗談抜きで、そのあと、笑顔で打ち解けられる。
 特に僕は、スペインもフランスも好きなのに、なぜかひいきめに、「I love East Europa」ってよく言うから。
 イタリアは女性らしい女性のあり方も自由だし、伝統から来る女性らしい女性さの位置づけも違うし、それが理解できなすぎると、キレイになれない。
 スピリットもルックスも、キレイになれないと、どんどん肩身の狭い思いをすることになるのは、街を歩いてるとだいたいわかる。
 僕の大好きな高須院長は、村上春樹が「菅元首相は、紙を見てるだけでなにも行動しない」ってラジオで批判した時に、「先生、あなたは日本人ですか?」って聞いたことがあった。
 根本からして、ヨーロッパと日本がぜんぜん価値観が違うから、右翼も左翼も全然違う。
 村上春樹は左翼っぽいことを言うだけのことで、「日本の政治はひどいから、選挙に行きたくない」って言っていた理由も、彼の中であるんだろうなぁって気がするし、投票したくないなら、選挙に行かないのも自由だ。
 高須院長は、ルーツが見えづらいし、あいまいだけど、その中にも日本の保守の伝統はあるんじゃないかって模索してる中のひとりだし、中上健次もそうだった。
 「ああいえば上祐」って昔、オウム真理教の事件の時に流行ったし、犯罪は絶対ダメだけど、歴史や僕の人生を通しても、ああいえばどういうのが日本人の筋として正しいんだろうっていうのは、いまだに、いい悪いに関わらず、仕事は黙々やる以外には僕の中でハッキリしない。
 そういう日本のルーツっていう意味でも、アメリカ文化の流入っていう意味でも、村上春樹は日本語の美しさとよく練られた内容、もっと言えば、彼はアメリカ・ヨーロッパの仲間入りをして、日本をよくしようという作家のひとりで、日本人としての筋を通すのが上手いなぁって感じて、尊敬する。
 文学のいいところは、現実と少し離れても、文章の中で筋を通せるところだ。
 そして日本語のよさは、僕が思うに、謙譲の美とやさしさなんだろう。
 正論は言った方がいいし、あいまいではない方がいいし、卑屈さや悪の肯定、そして、うらぶれた態度と、このふたつとは別であるべきだと僕は感じる。
 文体を少しかわいく書いてみるとか、あえて韻を踏んでみないとか、これはむしろ、日本語をキレイに見せる技なんだろう。
 僕は日本人としての筋がわからなくて通せなかったし、ルーツっていう意味での日本語の美しさの追求には限界があったから、フィレンツェでエッセイを書くことにする。
 そう言うとかっこいいけど、文学情報サイト「フィレンツェ買い出し紀行」のこととか、単にフィレンツェが好きとか、いろいろあるとなかなか日本には住めなくて……。
 そんな感じで、僕は日本のビジネスパーソン、古くは、90年代の脱サラ作家、僕のイメージでは栗色の短髪で、水色のシャツを着て、ウイスキーをジャズバーで飲んで、ひとり、彼女を想ってる感じの文体を目指したいから、そういう感じの文体の作品も書くことにする。
 わたせせいぞうのマンガとか、「トニー滝谷」とかは、それの真骨頂だから、ああいうのまた読みたいなぁとか、やさしさや謙譲はやっぱり、イタリアに行っても美徳だったしなぁとか、いろいろ思ったりもしたし。

了 

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