南野 尚紀
Laura Pausiniっていう、九〇年代にデビューしたイタリアンポップスを代表するアーティストがいる。
ミラノ中央駅でローマに帰る電車を待ってる時、偶然、「Él no está por ti」っていう彼女のナンバーを聴きながら、タイトルの意味を調べたことがあった。
スマホの画面に表示されたのは、「彼はあなたのものじゃない」という言葉。
タイトルから別れの歌なんだろうってことは察しがつくし、歌のムードも好きだったので、はやくリリックを見たいと思い電車に乗ったけど、どんな理由だったか、結局、その時は調べなかった。
さっき「Él no está por ti」のリリックが、スペイン語から英語に翻訳されたものを日本語に翻訳してみたけど、彼女の中の恋愛と離別の定義がうたわれていることがよくわかる。
スペイン語のリリックの全文引用をすると、著作権を無視したことになるから、僕の意訳した日本語の「Él no está por ti」のリリックをここに載せたい。
彼はあなたのものじゃない
シャイな私の友だち
彼はあなたをあんなふうにみてる
なんでなんてわかろうともせず
彼女と行ってしまったあなた
友だち以上ではないから
彼女はイヤがることなく
彼女はぜんぶを理解してて
その理解してるぜんぶは愛にきっと愛になる
二人のあいだに隠れたような気がしたのは
それがジェスチャーと言葉だったからで
あなたは心臓が止まったって感じるよ、きっと
街の雑踏のお告げもなしに
一瞬一瞬を、一日一日を前に進ませようよ
あなたとともに
あなた自身のこと、彼に話せばいいと思う
なんていえばフェアかなんてそんなの抜きで
彼に話すことは
あなたの中にもうあるはずだから
それがきっと愛になるから
あなたたちがのぞむから
きっときれいな言葉になるから
一日一日が新しい感情を満たしてくれる
目は与える愛のまなざしと一緒になる
あなたのもってる永遠の午後の太陽の光、みんなうらやむよ
でも私の話をきいて
それは壊れやすいから
たとえだれもほしがらないような
愛のはじまりの瞬間だとしても
彼はあなたのものじゃない
シャイだった私の友だち
彼はあなたのものじゃない
存在への愛は、肯定のYesから生まれるから
僕が意訳するとこんな感じになるけど、彼女のリリックに表現されてる恋愛観はいいなあって思う。
昔からあるようで、人のなかに今でもある感情。
世の中には世間から悪い人間に似てるからという理由だけで、悪いと決めつけられて悪い人間にさせられる人間がいる。もちろんほんとに悪いだけのひともいるし、いいひとを悪いと決めつけてかかる世間はいちばん最悪なんだろう。
僕がこのリリックの中で好きな箇所は、「彼に話すことは あなたの中にもうあるはずだから」、「きっときれいな言葉になるから」と、「一日一日が新しい感情を満たしてくれる 目は与える愛のまなざしと一緒になる あなたのもってる永遠の午後の太陽の光、みんなうらやむよ」、そして最後の箇所、「存在への愛は、肯定のYesから生まれるから」。
「言葉はあなたのすぐそばにある」、「悪に善で立ち向かいなさい」っていうのは、確か『新約聖書』の「ローマ人への手紙」の一節だったけど、たとえその相手が悪でなくても、好きになりすぎた場合、きれいなこ言葉を保つことがいい人生を送る方法だってことなんだろう。
もっとも僕はこの逆で、言葉が汚くなかったから後悔したことが多くて、いい女性に出会って、きれいでかつ意味深い言葉をたくさん聞けたのはいいことだったし、単にきれいな言葉とか、単に汚い言葉は僕は意外といえるから、このリリックの中ではそこがポイントなんだなぁって、失礼な発言で恐縮だと思いつつも、改めてそう思った。
心の中に新しい感情が生まれるっていうのは、新しい人生観で生きるってことだし、一緒になるって意訳しちゃったけど、英語では「In company」って訳されてて、「会社とともに」って訳せないこともなかったから、社会生活での成長や活躍の意味ももしかしたらあるのかもしれない。
僕は文学情報サイトの運営をしたり、日本語や日本文化、イタリア文化、文学を教えるのが夢だから、あんまりそう感覚でがんばると仕事になんないというのが大変なところなんだけど、愚痴みたいだからこれ以上はこの話題はやめておきます笑
「存在への愛は、肯定のYesからうまれるから」。
僕の話ばっかりで恥ずかしいけど、僕は受け入れたり、ただ肯定したりするのは少し得意だったから、結果、仲間が離れてったことがあって、好きなひとや自分を支えてくれるひとへの感謝の思いから、悪いひとを否定しなくちゃいけないっていう人生の課題があるんだけど、このリリックはとても高尚で、尊いなぁと。
存在への愛は、戦いや疑心暗鬼になった果てに、人生の大海の向こう側から彼岸を信じること、そして言葉でそれを肯定したり、相手が否定してほしいところはしっかり受け止めて否定したりすることだけど、そういうこと抜きでどこまでもきれいな言葉でひとを愛するっていうのは、やっぱりいい。
純粋さとか、まっすぐなきれいさって、ひとの心もきれいにするから。
僕は文学の仕事あるし、リリックで歌われてる恋愛観と少し違う恋愛観で婚活進めた方がいいと思ったし、Laura Pausiniみたいなひととの結婚も、ハードルが高くても勝負していいかもなぁとか。
坂井泉水とかボッティチェリみたいに深い美学があるひとが好きだけど、もっと単純な方がしあわせだとも思うので、僕は読者にはそっちをオススメしたい。
ちなみに、タイトルのMolto bounoモルトボーノは、イタリアで「すごくおいしい」の意味なので、レストランで積極的にこれをいうといいと思うので、ぜひ使ってみてください。
了
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