南野 尚紀
フィレンツェのランドリーショップで、カルヴァン・クラインの下着を盗まれたことがあった。
それよりも前から、僕は女の人が好きだから、女性問題についてのエッセイも執筆しようと思って、美人の女性が悩みがちな問題、下着泥棒の問題とか、パパラッチによるスキャンダルの問題とか、大胆発言を指摘して社会的に圧力をかけられるようにしているマスメディアが実はモデルなどに課している隠れた言論統制の問題とか、だれにも言えない偽りのウワサ話による不信感の問題とか、いろいろあるように思って、考えたことはあったし、折に触れて少しはそのことを書いたけど、本当の悪党がいるかぎり決定的な解決策はないように思えたので、再びフェデリコ・フェリ―ニの映画『女の都』の評論をしようと思う。
あのイタリアンシネマ、マルチェッロ・マストロヤンニ役の男が、何かの間違いで違う駅で降りてしまったことをきっかけに、「香水の匂いは嫌いだ」というなぞの女性に連れられて、女性だけが集う館に一泊しようとした挙句、その館から脱出するという話だった。
『女の都』はそもそも、その館のよくない側面も描かれているから、この作品を完全に前提にすると変な話になる気がするので、僕の理想を述べたいと思う。
なぜあの男は、女性が集って、女性問題やアートの問題を議論したり、パーティをやって楽しんだり、スポーツもやって楽しんでいるのに、館から逃げようとしたのか。
女の館は女性を軽視するような人間は、洞窟の奥で食事の準備をさせられたり、基本的に雑用をやったりしているし、そこまで容姿が美しくなくても、キレイな女性の味方をする女性はちゃんと楽しく生きている。
僕がこの頃思うのは、よっぽど自分の理想を追い求めるための仕事や趣味を妨害する人間を遠ざけることができる森の中の館で、しかもキレイな女性や伝統的な女性らしさ女性たちが、結束して暮らしている館で過ごしたいなぁって思う。
そもそも今はネットが発達してるから、デジタルノマドって言って、いろんな場所でネットを通して仕事してる人だっているし、女の館だったら、YouTuberでも、作家でも、オンライン写真集でも、なんでもやって、生活できる。
アイディアや魅力に長けている人たちに集まりだから、遠くに別館でも作って、本当に味方と思えるファンだけを集めて懇親会やって稼いだっていいし。
あの男の勇気のなさは、逃げることしかしないことで、女の館で議論を女性と交わして楽しむとか、館に潜む女性の敵と論争して、館から追い出すとかそういうことをしなかったのが問題だなぁって思ってて、後半でも、「自分の中の女性性を受け入れられない」って女性から言われて、反省してたけど、女性の身体の性的な部分しかみない人は、やっぱり僕は合わないなぁ。
議論を楽しむとか、女性がこだわりを持つファッションとか、化粧とか、伝統的な女性らしさを大切にする女性の社会進出のあり方、その中での家庭生活の各々の過ごし方、それらのいい側面を好きになるっていいことだと思う。
少なくとも僕は、男性だから理解するのには限界があるけど、別に女性の味方をする女性が好きな男性として仕事も結婚も固めていきたいなぁって思うから、女の館ぜひ住みたい。
いちばんいいと思う女性と結婚して、その館のこと全力で支援して、別館をたくさん作って、上手に広告出して、館の外にいる大変な思い抱えてる女性に避難してもらうのもありだし。
男性はどうかなぁ、女の館の美人とか見識者がコンテストでも開いて、厳正な審査のもと行われた、上位何名かを館に招待するとか、それ自体を独立した1つの国にするとか、考えすぎなようだけど、いいなぁって思う。
僕が気が合う人ってそういう人が多いし、僕もそういう女性といろいろあっても、やっぱりいいなぁと思うし。
グローバル社会で容易に繋がれる社会だからこそ、線引きをして、幸せな人生を送ったり、自己実現の達成をしたりするってことは、すごくいいことだから。
いつもいいねくださってる方とか、伝統の女性らしさを大切にする女性の友達、大切にしたいから、これからも仕事に執筆活動、一生懸命取り組んでいきたいと心から思います。
了
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