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マティスの美学――モデルとジャズを信奉する人――

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   南野 尚紀 

 本格的な美への崇拝は、美人や美男を好むことからしかはじまり得ない。この結論は正しいだろう。一度は、疑問形にして命題として据えたほうが、文学的におもしろいともしれないと考えたが、熟考する余地もないくらいの真実なので、あえて断定調の肯定文でこの言葉をエッセイのはじめにすえた。

 6月のまだ梅雨に入らないよく晴れた日の午前。上野の東京都美術館でマティス展をやっているというので、観に行くことにした。

 美学的観想を制することは、人生をよりよく、明るく生きる上で大切なことだ。南欧を例にとってみれば話は早いだろう。伝統に依拠した美学が発達しているこれらの国は、勇敢さを胸の内に秘めつつ、自らを美しくするために、極端な争いはしない。争いや過酷な現実は、それらを信奉する者に任せれば良い、という結論が南欧の国の文化体系を形成する背景にはあると思えてならないのだ。

 今回、上野に作品を観にいくマティスもフランス人だ。国籍がすべてを司るとは僕は考えないが、やはり僕の南欧の国々への憧れが拭えないのも事実だ。きっと僕が考えていることになにかヒントを与えてくれるかもしれない。そう考えて、電車を降り、上野駅の公園口改札を出ると、改札から直結の上野公園の中を歩いた。

 新緑の季節に公園を歩くのは心地いい。黄緑色の色彩に彩られた公園を行く人々は、だれもが穏やかで楽しげに見える。これがあるだけでも、上野に来た甲斐があったなと私は思った。

 東京都美術館の入り口でチケットを買い、展覧会場に入る。

 マティスの初期の絵画から始まって、次第に中期のフォーヴィスムを抜け出した後の、逸楽(いつらく)に満ちた絵画が広がる場所まで来て、ふと足を止めた。マティスの絵画はゴーギャンやモネと同様に、植民地主義を背景にした、異国への憧れを含んだ眼差しが作品に反映されている。

 それ以上に、あたたかい色彩の愉楽に満ちた絵画たちは、僕を安らぎへと誘い込んだ。

 以前、マティスの本を読んだ時に、こう書いてあったことを記憶している。

 会社員のように画壇の要請に従って絵を描き、一躍、有名画家になったマティスだったが、アヴァンギャルドの重圧を拒否し、「人々の安楽椅子になるような作品を描きたい」と言い始め、その発言に沿った作品を制作するようになった、と。

 淡い赤色に彩られた『豪奢・静謐・逸楽(ごうしゃ・せいひつ・いつらく)』や、真っ赤な色で部屋の中が描かれた絵画は画集でも観たことがあったし、言うまでもなく見応えがある。他にも、それらの絵画の近くに展示されていた白い服を着た女性がニースでシエスタしている絵画は、透き通るような白が使われていて、観ているこちらの気持ちがゆったりするような作品だった。

 しかし、僕が惹かれたのは、ジャズをモチーフにした切り絵の数々と、別の絵画に付された解説文の中の「私は色彩を自分で決めることはしない。モデルの奴隷になって、色彩をそれに従い、決定していく」という内容の言葉だ。

 ジャズの切り絵に関して、画面構成がどうという細かい話は私の専門ではないのでできない。しかし、マティスのようなハイレベルな画家が色彩にこだわって作ったということは、十分に納得がいく作品だ。ジャズのようにそれぞれの色のソロパートとしての独立を意識したようだが、なるほど、色彩がそれぞれ独立しながらも、しっかりその中でバランスを崩さず拮抗している印象を確かに受ける。ジャズの連作は青い色調のものがほとんどだが、それはジャズが「夜の音楽」という性格を持っていることを意識してのことだろう。

 言葉に関して言えば、美の根源に従って、それをなぞるように判断を下していくことは、美の秘訣であり正攻法だ、と言うこと以外、今は言わない。

 美術館を出た時、僕はマティスの絵画の良さを改めて認識した。

 僕はマティスが好きだ。なぜなら、彼もまた真の美の愛好者であり、ジャズを通じて夜に思いを馳せたアーティストの一人だからである。

 

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