南野 一紀
僕は昔からずっとイタリアへの憧れがあって、いつかイタリアに旅行に行きたいと思いつつ、イタリアへ行けないまま33歳までずるずると来てしまった。それでも、僕のイタリアへの憧れは消えることなく、くすぶったままフツフツと燃え続けている。
イタリアのいい文化というのは、挙げるのが大変なくらいたくさんあるけど、それらを思い浮かべるだけでも、僕は幸せな気分になって、天国に昇ったような気持ちになるのだ。
早く行きたいなぁ、イタリア。街並みも綺麗で、料理もうまいんだろうなぁ。美術品とかサッカーとか観たいなぁ。フィレンツェのダンテの家も行きたいし。イタリア人がエスプレッソに、たくさん砂糖を入れて舌がビリビリするくらい激甘にするって本当かな。イタリア人男性はおしゃべり好きで、ナンパ好きっていうのも本当なのかな。高級ホテルとか泊まって、優雅に過ごしたいなぁ。
そんな胸の内に秘めた想いが再燃したのも、YouTuberのイタリアガイド・みめと、同じくYouTuberのERITALYの動画を見たからであった。
はじめは、文学作品の執筆・アート鑑賞・音楽鑑賞以外で新しい趣味が欲しいとなって、どうせなら自分のステータスも上がって、楽しくて、モテそうなのがいいじゃんとなって、いろいろ考えた結果出てきたのが、イタリア文化の研究だった。
みめの動画で最初に見たのは、ローマの夜景の動画だった。
夜に燦然と輝くローマのトレヴィの泉を改めて見て、僕の美学の根源はイタリアにこそあったんだと思い出した。
真っ白な建物に囲まれた空間の中、精巧にして荘厳な大理石の神々たちが見下ろしているライトアップされたトレヴィの泉に集まる人々。泉の水は美しい人々の魂を反映させているように、甘美で透き通った水色をしている。夜の歓楽のひととき。時は止まったかのようだ。
フェデリコ・フェリーニの映画『甘い生活』には、真夜中にトレヴィの泉で、マルチェッロ・マストロヤンニがアメリカ風の美しさを持つ北欧の女優と戯れるシーンがある。このシーンが映画史上、最高に美しいシーンだと思っている。
ダンテ『神曲』だって、ベアトリーチェへの愛のため、ベアトリーチェを笑わせるためにある神聖な喜劇だし、アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』だって、途上ではいろいろあるが、最後はレストランで美女と小説の話をして終わる小説だ。
僕は最近、イタリアへ旅行に行くためだけに、英語を勉強している。
英語を学び直して、改めて気がつくことは多い。
「model」は日本語では「モデル」と発音するが、英語では「マドォーゥ」という日本語表記に近い発音をする。「ego」も「エゴ」ではなく、「イゴーォ」に近い発音だし、「couple」も「カップル」ではなく、「カポォーゥ」に近い発音だ。正しい発音を知りたい人は、ネット辞書の音声ガイドなどを使うといいと思う。
ケンコバが昔、テレビ番組で、『キン肉マン』の主題歌を「ゴーゴーマッスル」と歌う人がいるけど、「ゴーゴーマッスル」じゃない、「ゴォウ、ゴォウ、マッソーゥ」だと力説してたことがあったけど、あれは英語を学ぶ上での基本精神だと思う。
今日はケンコバに元気付けられた。
「ゴーゴーマッスル」じゃない。「ゴォウ、ゴォウ、マッソーゥ!」。
話はだいぶ逸れたけど、この合言葉を胸に秘めつつ、英語を勉強し、イタリア旅行の夢を追いかけている。
結局、私が追いかけていた美学は、ローマの夜景の中にこそあるのかもしれない。それは果てしない夜の愛をめぐる勇ましい冒険。
それでもイタリアはまだ遠いかな、英語はまだリハビリ期間だし、イタリアの文化もまだまだ学ぶ余地はたくさん残されている。ロマンのためにも、地道に英語を続けなくては。
了
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